水の恵み
私は若い頃、アメリカをバックパックで一周したことがあります。バスを使ったり、ヒッチハイクをしたりしてネバダやアリゾナにも行きました。長い距離を走っていますので、もちろんトイレ休憩もあります。その時、私は「どこかに水道があって、手でも洗えるだろう」と思っていたのですが、トイレの中も、その近くを探してもどこにも水道がないのです。ペットボトルの水すら売っていないのです。本当に驚きました。水がないとはこういうことなのかと。だからそのあたりでは草木一本生えていませんし、雨も降りません。日本のように恵まれた自然環境にある私たちは、もっと水を大切にしなければいけない、そう思いました。
渋沢栄一が最初から水道事業に進出していたら、日本の水道網はより早く全国に完成していたでしょう。村でも町でも、ものすごい勢いで普及していたと思います。皆さん、目の前の蛇口をひねれば、きれいな水がザーッと流れてくる。いちいち井戸まで行って汲まなくてもいい。これがどれだけ労力の節約になるか。節約した時間と体力を、他のことに回せるわけです。
渋沢にはさまざまな功績がありますが、水道の重要性をいち早く理解していたことは見逃してはいけません。実際、明治政府は水道を公共事業として位置づけ、水道施設を整えることこそが文明国の証であると認識を改めたのです。ようやくわかったという感じです。
淡水の重要性
そのことがさらに明確になったのは日清戦争と日露戦争でした。戦争を通して、軍隊がいかに膨大な量のきれいな淡水を必要とするかについて気づいたのです。淡水とは海水以外の水です。日本にはこの淡水が地下にも、川にも、湖にもたくさんありましたが、それらを運ぶシステムがなかったのです。
なぜそれほど淡水が必要だったのか。飲み水として、また体や手などを洗うためです。伝染病予防という点でもこれらは重要です。日本の医者たちもすぐに理解しました。
ただ、それだけではないのです。海軍では船は淡水で洗う必要がありました。年がら年中、塩をかぶっておりますが、この塩で船が老化していくのです。ですから淡水が要るのです。
私の知っている横浜在住のボートマンは、大きなボートを所有していてこう言いました。「西先生、海水なんて使ってはいけませんよ。ボートは淡水で洗うのです」と。大きなホースでワーッと洗っていました。
都市防衛
水は火災から都市を守るという意味で、都市防衛にとっても必要不可欠でした。昔の東京は木造が多く、一度火災になると多くの住宅が燃えてしまいました。しかし水道網の普及と、消火栓の設置によって火災件数が劇的に減りました。火が出たら、水道があればホースでもってさっと水をかけられたのです。
そのための水源をどう守るかというのも極めて重要です。東京の水源といえば利根川や荒川、多摩川ですが、東京の人口が明治になって急激に増えた時、水が圧倒的に足りなくなりました。その時、東京でコレラが発生しました。うわさでは、多摩川上流に住む村人が汚物を多摩川に流し、その水が東京に流れ込んだということでした。
調査の結果、多摩川の上流が原因だと判明すると政府は激怒し、北多摩、南多摩、西多摩という広大な土地とそこに流れる多摩川を東京都に組み込み、東京都が管理できるようにしたのです。当時多摩地方は神奈川の一部でしたが、水源地の乗っ取りが国内で起こったわけです。そうして東京は多摩地方をあえて「開発しない」、すなわちできるだけ人を少なくして水源を守ることにしたのです。
西鋭夫のフーヴァーレポート
水道と国際政治(2021年11月下旬号)-4
この記事の著者

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。