水道事業と外圧

by 西 鋭夫 June 9th, 2025

始まりの地

日本における近代的な水道事業はいつ、どこで始まったのでしょうか。多くの方はおそらく明治以降であることを知っているかもしれませんが、その場所については意外と知られていません。それは横浜でした。

日本は長らく鎖国を続けてきましたが、ペリー来航によって開国を迫られました。そして欧米人が一気に横浜へとなだれ込んできたのです。もちろん長崎にも来ましたが、彼らが本格的に住み着いたのは横浜でした。そこで商売をしたり、政治的な活動をしたりするようになります。しかし横浜に水道はありませんでした。欧米から来た人たちはロンドンやパリ、ニューヨークのような近代都市を知っていますので、水道がない生活なんて考えられないと嘆きます。水を毎回桶で汲んで、樽に入れて、それを持ち運びせねばならなかったからです。

そこで彼らはまとまって行動します。当時、外国人だけを住まわせる区域を租界と呼びましたが、そこにはお金もあり、軍事力もありましたから、それらを使って薩長土肥の新政府にプレッシャーをかけたわけです。「おい、日本よ。これが文明国の暮らしなのか。まるで土人じゃないか」とそんな調子です。薩長土肥の兄ちゃんたちは「いや、日本は文明国だ」と言いたいわけですから、必死になります。それで水道事業を急いで始めることになりました。

 

渋沢栄一

ところで、日本人の中にも早くから水道の必要性を感じていた人がおりました。私が尊敬してやまない日本人の英雄の一人、渋沢栄一大親分です。彼はすごいです。以前もお話ししましたが、彼は幕臣という立場でパリの万博に行き、そこで大きな衝撃を受けました。どこに行っても水道があるからです。

「なんじゃこりゃ!」と、こんな便利なものは日本も絶対に導入すべきであると、そう思って帰国しました。そして渋沢は新政府に対して、「私に水道会社をつくらせてください」「必要な資材や技術は、ロンドンやパリから仕入れます。彼らの技術は素晴らしいのです」と進言しました。

ところが、薩長土肥の連中はどう出たか。渋沢は生意気だ、俺たちが日本の企業を使ってやるからと、渋沢の意見は取り入れられませんでした。渋沢はあくまでも外国製のものにこだわったのです。これが仇となり、渋沢は西洋かぶれとして、今で言う右翼思想を持った若者たちから命を狙われることとなりました。「外国の技術を持ち込もうなんて、何を考えているんだ」「日本の魂を売る気か」と命を狙われたのです。

しかし時代は渋沢を必要としていたのでしょう。日本製の水道管で整備した水道網に漏れなどが見つかると、政府は渋沢の進言を受け入れ外国産の水道管を導入し、水道事業を進めていくこととなりました。

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
水道と国際政治(2021年11月下旬号)-3

 

 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。