戦争と塩素

by 西 鋭夫 June 5th, 2025

毒ガス

塩素は戦争とも非常に深い関係があるのです。日本軍は塩素を毒ガスのひとつとして製造していました。ガスですから、作っている人間が吸い込んでしまう危険もあります。また工場内や周辺に漏れ出してしまう可能性もありました。塩素というのは実に扱い難い毒ガス兵器だったのです。

そこである民間企業が立ち上がります。「この塩素、なんとかして扱いやすくできないか」と。ガスじゃ危なすぎる、だったら液体にしようと努力するわけです。開発費もドカドカと投じました。成功すれば軍が買ってくれるからです。軍が買ってくれれば、その会社は一生安泰です。そういう動機があったのですね。それで懸命になって液体化の開発と製造が進んでいきました。

ところが戦争が終わってしまった。「おいおい、どうしてくれるのだ」と、民間会社は政府に詰め寄ります。「我々は国家のために努力してきたのだ。塩素を液体にする技術をここまで進めてきた。なのに軍は買ってくれないのか」と。そこで政府が考えたのが「じゃあ、水の消毒に使いましょう」ということでした。

 

水道ネットワークの拡大

ちょうどその頃です。東京や大阪などで水道のネットワークが爆発的に広がっていました。その大元となる貯水池に塩素をドボンと投げ込み、その水を今度は砂と木炭の層を通して浄化しました。そうしてできた水を東京や大阪の家庭へと届けたわけです。

ガスだった塩素が液体として使えるようになったことで、扱い方が格段に楽になりました。何より、量の調節が可能になりました。これは重要なポイントでした。ただし、塩素というのは強烈なにおいを放ちます。皆さんも水道の水を飲んだときに「ツン」としたにおいを感じたことがあるでしょう。あれが塩素です。

もちろん塩素はもともと毒ですから、たくさん飲み込んだら体に悪い。しかしバイ菌を消毒するという点では、塩素の効果も否定することはできませんでした。それまでの水道水というのは消毒されておらず、川の水や井戸水をそのまま使っていたのです。本当にきれいな水は別ですが、都市部の水の中には多くの場合、バイ菌が混じっていました。大人であればある程度のバイ菌に耐えられます。しかし、生まれたばかりの赤ちゃんや小さな子どもはそうはいきません。バイ菌にやられて、命を落とすケースもありました。

 

水屋

ところで、水道ネットワークが普及する前の話ですが、近くに井戸がなく、川の水も汚れていたら、昔の人はどうしていたと思いますか。実は水を買っていたのです。今では信じられないかもしれませんが、当時は「水屋」という商売がありました。その人たちは、大きな荷車に巨大な樽をいくつも積んで、馬や牛に引かせながら、町中を回っていたのです。きれいな井戸水を一杯に詰めて、それを売って歩いていました。

今の私たちは「水はタダ」が当たり前だと思っています。特に日本ではそうです。しかし当時は違いました。一升枡、つまり1.8リットルくらいですね、それが1銭だったのです。100銭で1円の時代ですから、1銭というのは今の感覚ではほんのわずかです。それでも水は「買うもの」だったのです。

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
水道と国際政治(2021年11月下旬号)-2



 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。