歴史の真実
私たちは歴史の真実を知らされておりません。作られた歴史的「神話」に夢中になっているのです。「日本はいいことをした、立派だった」と。そうした面もあるのでしょうが、日本は同時に “やられた国” でもあるのです。そのことをきちんと教えるべきです。
原爆を落とされて感謝するのですか。東京や大阪、名古屋などの主要な都市は大空襲を受けて灰燼に帰しました。いったい何万人、何十万人が命を失ったのか。その正確な数さえ分かっていません。不思議な国です。しかもその作戦を立てたアメリカ空軍の最高司令官に勲章を授けているのです。カーチス・ルメイという男です。理由は「日本の航空自衛隊に多くのことを教えてくれた。その感謝の気持ちだ」というのです。
私たちはどれほど洗脳されているのでしょうか。ただのお人好しなのでしょうか。臆病なのでしょうか。日本人はかつて、勇猛果敢な民族として知られていました。それがたった一度の戦争に敗れたことで、こんなにも自信を失い、原爆まで「落としていただきました」と感謝するような空気になってしまった。
原爆投下
私がアメリカにいた頃、もうずいぶん前になりますが、イラク戦争が始まってちょうど20年になる頃の話です。スタンフォード大学のフーヴァー研究所でアメリカの連中と話していたのです。そのとき、アフガニスタンでの戦争がなかなか終わらず、「勝てない」と彼らが嘆いていました。私は言いました。「君たち、勝てる武器を持っているじゃないか」。すると「それは何だ」と聞いてくるので、「原爆を落とせば勝てるのではないか」と言いました。
皆さん、ポカンとしておりました。彼らはもう日本に原爆を2発落としたこと忘れているのです。日本はそれによって完膚なきまでに叩きのめされ、敗戦に至りました。
アメリカはそんな過去のことを全く気にしていないのでしょうし、常に正しいことをやってきたと思っている。そして、一方のロシアや中国が全部悪いと思っているのです。しかし、現実はそんな世界ではないのです。どの国も、自分たちの都合で恐ろしいことをやってきました。日本に「勝った」と威張っている国々は、その裏で一体何をしてきたのか。私たちはそういうことを冷静に見なければいけません。
帰国
ソ連軍に捕まらなかった人々も過酷でした。彼らは運よく朝鮮半島まで逃げてきて、日本海を船で渡って帰国しました。皆さん、最近のアフガニスタンの空港で飛行機に乗ろうと必死になっていた人々の姿を覚えているでしょう。あれと同じような光景がベトナム戦争の最後のときにもありました。そして、それとまったく同じ光景が日本の引き揚げ船にもあったのです。
船は人間で鈴なりで、まさに「命の争奪戦」でした。二等兵や一等兵といった下っ端たちと一緒に、かつて朝から晩まで自分たちを殴りつけていた上官たちも同じように船に乗り込んでいました。二等兵や一等兵たちは、上官たちの手足を持って海に放り投げたそうです。デッキでたばこを吸っている上官がいたら、後ろからドーンと突き落としたようです。
この話は、実際に満洲から引き揚げてきたある若者から聞いたものです。「お前、本当に見たのか」と聞いたら、「はい、見ました」と言っていました。戦争で勝った国の人々は意気揚々としています。しかし、負けた国の人々は生き延びるだけで精一杯なのです。
西鋭夫のフーヴァーレポート
シベリア抑留(2021年9月上旬号)-5
この記事の著者

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。