囚人経済

by 西 鋭夫 April 21st, 2025

強制労働

ソ連の捕虜となった日本兵たちは、マイナス30度の極寒の地で過酷な強制労働をさせられました。飢えや病気によっておよそ6万人が命を落としたと伝えられています。通常、戦争が終われば、敵国に捕まっていた兵士や一般市民は祖国に送還されるのが慣例です。しかし、ソ連はそうしませんでした。日本人をシベリア鉄道に乗せてソ連の奥地へと連れて行き、強制労働をさせたのです。

スターリンが権力を握っていた当時のソ連にとって、日本兵は「安い囚人労働者」でした。つまり、使い捨てにするための労働力として扱われたのです。スターリンから見れば、「日本はシベリアにちょっかいを出してきやがった、このやろう。ふざけるな」という世界です。ですから、使い捨てにされても当然だと考えていたのでしょう。


ただ、皆さんにはっきり言っておきたいのは、日本はソ連に負けたわけではない、ということです。中国にも負けていませんし、イギリスにも負けていません。私たちはアメリカに負けたのです。しかし私たちは「アメリカ以外の国々にも負けた」と、そう認識させられているのです。

勝利者でもないソ連が「漁夫の利」を得たのです。満洲には60万もの日本人がいました。これを一気に集めて、あちこちで労働させました。使い捨てですから、食事も与えません。通常なら10与えるところ、2か3で十分だとして、極限まで食糧を減らした。だから次々と倒れていったのです。

 

病気との闘い

寒冷地では風邪をひいただけでも命取りになります。風邪というのは、外からやってくるものではなく、体内にある菌が暴れ出して起きるものです。イクラおじさんが言うには、風邪をひいた時は高熱でフラフラになっても、森の中で木を切っているふりをして働いたそうです。風邪をひいたことがバレれば、医者に見せろという話になり、最初の処置として風呂に入れられるようです。

この風呂が厄介なのです。数年ぶりの風呂ですから気持ち良いでしょう。しかし風呂から上がった瞬間、外の冷気で体が冷えきって、一発で死んでしまうのだそうです。そんな例がいくつもあったと教えてくれました。皆それを知っていたので、風邪を隠して必死であった、という話でした。

以上のような話や体験談を今の日本で聞くことはほとんど出来ません。知っている人もいるのでしょうが、教えられることもありません。歴史のお勉強となると、日本の歴史が明治維新頃から突然消えて、1950年頃から新たに始まっているかのような印象です。しかし、私たちの国はそんな国ではありません。嫌なことも、良いことも、美しいことも、醜いことも、全部知っておかねばならないのです。

 

戦利品としての捕虜

スターリンにとって60万の日本人は戦利品のような存在でしたが、これは他の国の捕虜や囚人にもあてはまることでした。スターリンはロシア人に対してさえ、同じようにこき使いました。囚人ほど楽な労働力はありません。文句を言えば殺せばいい。それだけです。

ですから、ロシア人の囚人も、日本の戦争捕虜も、実に苛酷な目に遭いました。スターリンはズタズタになったソ連経済を立て直すために、囚人や捕虜たちを人柱のようにして使ったのです。

戦争とは如何なるものか。こういった部分も含めて教えていかなければなりません。

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
シベリア抑留(2021年9月上旬号)-4


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。