東條英機

by 西 鋭夫 March 10th, 2025

ピストル自殺の失敗

大東亜戦争の指導者たちの中には、敗戦の責任を取って自害した軍人もおります。8月14日の夜、陸軍大臣の阿南惟幾(1887〜1945)は「 一死を以て大罪を謝し奉る」との遺書を残し、割腹自殺しました。神風特別攻撃隊を編成した海軍中将の大西瀧治郎(1891〜1945)も腹を切ります。東條英機も自決を図りましたが、彼は刀ではなく、ピストルを用いました。そして失敗しました。

私が東條英機について聞いたのは父親からです。あの時は4〜5歳頃だったでしょうか。父親は「東條英機め、なぜ腹を切らない。ピストルなんか使いやがって」などと言っていました。東條が使ったピストルは38 口径ですが、これはコルトです。メイド・イン・アメリカでした。アメリカの捕虜から取り上げたピストルです。

なお取り上げたのは東條ではなく、東條の娘と結婚した娘婿の古賀秀正でした。古賀は26 歳の若さで割腹し、ピストルで頭を撃ち即死です。玉音放送を聞いたあとでした。

 

救急措置

東條はその拳銃で心臓へ向けて撃ちました。しかし外れて肺を撃ってしまうのです。バタンと倒れて、そこにワーッとアメリカのミリタリー ポリス(Military Police)が入ってきました。記者たちも入ります。そこで倒れながらに「この戦争は正義の戦争である。悪いのは欧米列強である」と言ったようです。

その後、すぐに緊急の措置が始まりました。アメリカの軍医に血を止めてもらって、横浜の野戦病院に入ります。そしてそこで輸血が足りないからとアメリカの兵隊の血をもらって生き延びました。

東條の奥様は言い訳ではないのですが、お医者さんに「東條は右利きではなく左利きであったがゆえに、右手で撃った時に外れたのではないでしょうか。それしか思い浮かびません」とお話しされました。

 

国民の衝撃

しかし、あの時にあのポジションの人が失敗してはいけません。「東條、おまえは自決も出来ないのか。なぜここを撃たないのか」、なぜそもそも「頸動脈を軍刀で切らないのか」とそんな世界です。皆さん、当時の軍人は死のうと思ったら簡単です。軍刀を持っているのです。東條の場合はピストルも持っておりました。

もう大ショックです。「許せない」という感覚が強かったと思います。東條英機が総理大臣の時に真珠湾攻撃を決定し、日米開戦の火蓋が落されるのです。そして完璧に負けました。そうするとほかの責任者はどんどんと自害していく。東條英機の前にどれだけの数のリーダーたちが自害したでしょうか。東條が知らないということはないでしょう。

国民がさらに腹を立てたのは、東條が言っていたことです。全兵隊に向け、「捕虜になるなよ。捕虜の辱めを受けるようだったら自害しろ」と言ったのです。それを紙に書いて、それを全軍隊に徹底させていたわけです。

それで撃つ所を間違え、米兵の血で命を繋ぎ止めた。当時の日本国民の衝撃は計り知れないものであったと思います。

西鋭夫のフーヴァーレポート
武士道と切腹(2020年11月下旬号)-7

 

 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。