ゴールドの力
1902年に締結された日英同盟については大いなる謎があります。すなわち、世界の大帝国である英国が、なぜ当時の日本と同盟を結んだのか、という点です。国力の差を見たら歴然でしょう。英国にとって極東にある小さな島国と同盟を結ぶことに何の得があるのでしょうか。地理的にも随分と離れております。
謎を解く鍵はゴールドです。日清戦争が起きるまで、イギリスは日本に対してほとんど関心がありませんでした。一方の日本は片思い状態です。「イギリスさんにはお世話になっているし、イギリスさんの武器は素晴らしいので、ぜひ軍事同盟を結んでいただいて」とお願いしているのです。しかし、同盟が実現することはありませんでした。
ところが日清戦争の賠償金によって莫大な黄金がザーッとロンドンに入るわけです。それが非常に大きな影響力を持ちました。
史上最大の金蔓
日清戦争後に清国から巻き上げたお金ですが、その額は当時の日本の国家予算(1億2,000万円)の約5倍ですから、6億円ほどとなります。令和の国家予算で考えますと、100兆円としたら500兆円巻き上げたのです。これを日本は「金に交換せよ」と言ったわけです。
そうするとイギリスのおじさんたちは葉巻を吸いながらニコニコして、「こいつら役に立つ。同盟を早く結んでほかのやつに、例えばアメリカに取られないようにしよう」と、これまで拒んでいた同盟をスッと結んでしまいました。それが1902年です。「絶対に日本を離してはいけない。こいつらは俺の金蔓だ」と考えたのです。
英国スクール
日本は英国の金蔓になっただけではありません。多くの優秀な英国スクール人材が誕生しております。伊藤博文や井上馨などはその代表例でしょう。もっとも伊藤や井上は隣国ロシアとの関係を注視しておりましたが、長州藩は基本的にイギリスにベッタリです。長州の後にイギリスへ若い侍を送ったのが薩摩藩です。15人ほど送っていますが、帰国後には皆さん、明治政府の大物になっていきました。
明治政府には優秀な若者たちがたくさん入っておりましたが、その中にどれだけ英国スクールがいたか。令和の現在はどうでしょうか。
今の政府にはお年寄りばかりがたくさんいらっしゃいます。こんなことを言うと私は後で殴られるかもしれませんが、「俺たち、日本国という国の形はどこへ行ったのか」ということを言いたいのです。その形ですが、なくなってきたのではないですか。
西鋭夫のフーヴァーレポート
黄金と日本(2021年3月下旬号)-6
この記事の著者

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。