ザビエルの狙い
皆さんの中には「カトリックの宣教活動と石見銀山を結びつけるとは何事ぞ!」と怒る方もいらっしゃるかもしれませんが、お金の流れをしっかりと捉える必要があります。すなわちフォロー・ザ・マネー(Follow the money)です。お金の流れを追うと、歴史の真実が見えてきます。そこから目を背けてはいけません。
イエズス会による布教は商業活動と一体化しておりました。キリスト教とお金儲けの話は相性が悪いのでしょう。そこを明確に指摘する人はほとんどおりません。しかし歴史を紐解けば、布教活動と南蛮貿易の拡大は表裏一体の関係で進展していきました。
単に日本を訪れて「布教させて下さい」と言っても許してもらえないでしょう。大名たちの心を動かすものが必要だったわけです。ザビエルは日本の銀を使った南蛮貿易を大いに活用しました。それは莫大な富を生むものでした。ザビエルは「私がこの日本にいる限り、その交易に必要なガリオン船がやってきますよ」、と大名に悟らせたわけです。
ザビエルに代表されるイエズス会士たちは、日本にくる以前から石見銀山について知っておりましたし、もちろんそれをなんとか活用しようと考えていたはずです。
ポルトガル vs. スペイン
ポルトガルはこの南蛮貿易で巨万の富を築きましたが、その地位はライバル国であるスペインによって常に挑戦を受けておりました。スペインは、1571年にフィリピンのマニラを建設。そして、メキシコの西海岸アカプルコとマニラを結ぶ定期航路を切り開きました。これにより、東アジアとアメリカ大陸の交易が始まったのです。
スペインが注目したのは貿易風です。トレード・ウインド(trade wind)と呼ばれるものです。この風が日本からちょうどサンフランシスコの辺りに向けて吹いているのです。そして黒潮もサンフランシスコまで流れ、今度はそれが南へ下りてまたフィリピンの北の方へ戻ってくるのです。
スペインはこれをただで発見したわけではありません。有名な船長たちの命と引き換えに発見しました。一人の船長は航路を渡るときに自殺、他の船長は暗殺されたり、病死したりという状況が続きました。4人の船長が命を落とし、5人目がやっとこの貿易風をつかみ、航行に成功しました。
スペインのアカプルコとフィリピンをつなぐ楕円形のような航路が開発されたことにより、スペインがポルトガルを完全に追い抜きました。ポルトガルはその航路や技術を盗むことを必死に試みましたが、失敗しました。スペイン帝国はその後、100年、200年とその時代を築きました。
西鋭夫のフーヴァーレポート
黄金と日本(2021年3月下旬号)-3
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。