実験台
医学部を中心に、日本のスーパー・エリートたちが満州に行っていたわけです。その中で生体実験が繰り返し行われておりました。ところで、生体実験の対象には女性や子どもも混じっておりましたが、当時はマルタと呼ばれておりました。皆さん、これは丸太の「マルタ」です。1、2、3、4などと番号がついた丸太に、実験用の人間が鎖で繋がれていたのです。
実験する方は、おそらく相手が人間であるなどと思っていないでしょう。薬や伝染病の病原菌を与え、死にそうになった時にどうなっているのか、生きたまま解剖して調べました。内臓がどのような状態になっているのか、気管支がどうなっているか、それらを克明に記録したのです。
病原菌ではないですが、凍傷などもおそらく調べたと思われます。極寒の地ですから、多くの兵が凍傷で悩むわけです。それで実験として意図的にある部分だけを凍傷にして切断し、調べました。
こうした実験を優秀なお医者さんたちが行ったわけですが、こうなるともう彼らは優秀な殺人鬼と言えると思います。
罪の意識
人の名前ではなくマルタと呼ぶなんて最悪ではないかと思うかもしれませんが、私はそれ以上に、満州に連れてこられたお医者さんたちが、多くの満州人や朝鮮人、そして白人らをモルモットとして使い、何年間も生体実験をやっていたことの方が恐ろしく思います。
良心の呵責もあったと思います。しかし、日本軍の命令です。簡単に背くことなどできなかったと思います。そんな中で、来る日も来る日もマルタと呼ばれる実験台が連れてこられて実験を続けるわけです。神経が麻痺してしまうのではないでしょうか。
実験の成果
しかし実験の成果は実ることなく失敗しました。莫大な予算を投入したにもかかわらず、開発は未完に終わったのです。もちろんコレラや赤痢菌を井戸などにまいて、川にも流して広めることも行いましたが、それによって命を落とす人は少数でした。これらの病原体についてはやはり「接触」がないと難しいのです。
なお、日本も当時原爆を研究していましたが、日本ではその実現可能性は低いと思われていました。なので、原爆研究にはほとんど予算がつかなかったのです。ハルビンで行っていた細菌研究ぐらいのお金を出していたら、違っていたかもしれません。
西鋭夫のフーヴァーレポート
731部隊とウィルス研究(2020年9月上旬号)-2
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。