ゲッベルス
GHQは「アメと鞭」を使い、日本映画を検閲しながら、その一方でハリウッド映画を多く取り入れてきました。それにより日本人の心を鷲掴みにし、日本をコントロールしようとしたわけです。それはいわば映画を用いた洗脳、あるいはプロパガンダとも言えるでしょう。
歴史的に見ればこのような例はいくらでもありますが、その代表例はやはりヒトラー率いるナチス・ドイツです。その中に注目すべき一人の男がおります。ヨーゼフ・ゲッベルスです。私はアメリカの大学院にてコミュニケーションを専門とする学科で学んだことがあるのですが、そこでゲッベルスが書いた分厚い日記を読まされました。
ゲッベルスほど、ドイツ人の優しい感情と怒りの感情の二つに直接訴えた宣伝大臣はいなかったと思います。ナチス・ドイツは宣伝省という省を政府内部に作りましたが、その親分がゲッベルスでした。
ゴーストライター
ヒトラーの多くの演説文も彼が書いたと言われております。ヒトラー自身も演説はお上手でしたが、その文章がすごかった。皆さん、良い悪いの世界ではありません。あれほど賢いドイツ人たちが演説一つで興奮し、ヒトラーに熱狂したわけです。
ナチスがあれほど力を伸ばしたのは、ヒトラーやゲッベルスたちだけの影響ではございません。それはドイツ国民の8割、9割ほどが応援したからです。民主的なシステムのもと、ヒトラー率いるナチス党が国民の支持を得て、勢力を拡大したのです。この点を忘れてはいけません。
ゲッベルスはスピーチで国民を虜にしただけではありません。畳みかけるように次々と宣伝工作を行なっていきます。例えば、ヒトラーの演説に感動している男や女たちを特別に呼び、ヒトラーに会ってインタビューをさせるわけです。これはものすごい人気でした。多くの若者がうらやましがり、どんどんとナチス党に入っていきました。こうしてナチス党のファンが拡大していったのです。
『我が闘争』
ヒトラーの著書『我が闘争』(Mein Kampf)にも秘密があります。この本は、監獄に入っていたヒトラーが口述して、自分の子分に書かせたものでした。とても分厚い本でした。しかしほとんど売れなかったのです。というのは、文章や内容がくどく、何を主張しているのか分からない本だったからです。
それで新しい編集者を呼んで「おまえ、これの短いバージョンを出しなさい」と言いました。この編集長が優れていまして、ヒトラーのアイディアを彼の言葉できちんと整理整頓して、少し薄い版を出すわけです。これが爆発的に売れました。ドイツではベストセラー中のベストセラーというほど売れました。
西鋭夫のフーヴァーレポート
ハリウッドとプロパガンダ(2020年7月上旬号)- 6
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。