維新の裏で
広島や福岡、山口、熊本などの地域に移民が多い理由はお分かりでしょうか。昔は薩長土肥などと呼ばれていましたが、移民は明治維新で反乱を起こした地域にも深い関連があります。
皆さんの中には、この地域から出た維新の若者らは偉くなり、東京に豪邸を建てて住んでいるのではないか、と思うでしょう。確かにそういう人たちもいらっしゃいます。しかし、明治維新というと私たちはそこだけを注視しますが、ちょっと立ち止まって下さい。一般人の暮らし、平民の生活を見ないと、明治維新の本当の姿は見えてきません。
その土地の人々がどれだけ貧しい生活をしていたか。彼らから見れば明治維新は何の希望にもならなかったかもしれません。とりわけ、長男は良かったのですが、次男、三男は本当に何もないのです。丁稚奉公ができれば大成功の世界でしょうが、丁稚奉公先も限られておりました。
満州
中国に進軍し、満州をとってからは満州にもどんどんと移民を送り出していきます。その地域にはまだほとんど日本人がいなかったので、明治政府は「満州に行ったら土地をやる。広大な土地をやる」と広報して、移民たちを送り出したのでした。
ただ問題は、作物が育つ土地が中国人の土地だったことです。それを関東軍が武力で取り上げて、中国人を追い出してしまいました。そうしてできた中国の農村を丸ごと支配して、そこに日本の貧しい農村をごそっと移民させました。
有名なのは私の先輩の出身地である長野県です。長野県では村単位でそのまま満州に行ったところがあるようです。満州へ行くと、「信じられない、本当にこれは俺の物か」と村人たちは感動です。そうすると、関東軍の親分さんたちが「おまえたち、頑張れよ。日本帝国のために、万歳」とか言っているのです。しかしそれは中国人から取り上げた土地だったわけです。これが後々、大問題になってきます。
女性たち
移民先の社会では、まずもって屈強な男たちが移民するので、女性が少ないはずです。現在のシリア難民の様子を見ても、男たちが大量に移動しております。飲まず食わずの長距離移動というものは、体力的にみても大変なのです。
しかし、当時の日本人の移民先では多くの女性が存在しておりました。これらの女性は、日本では歴史的に「唐行(からゆき)さん」などと呼ばれておりました。日本にとっての外国は昔、唐でしたから、外国イコール唐と考えられていました。
唐行さんは今の言葉で言えば売春婦ですが、当時の日本では合法でした。女性を連れていくのは軍隊でも同じです。フランスのナポレオンの軍は有名です。女性たちが軍隊の後ろにぞろぞろとついてきました。
売春婦や遊女などと呼ぶと、侮辱しているように聞こえます。ですので日本政府は「唐行(からゆき)」という面白い言葉を作って、女性たちを移民がいる場所へと送りました。彼女たちはそこに住み着くか、亡くなるかです。日本にはほとんど帰ってきませんでした。
西鋭夫のフーヴァーレポート
日系移民の悲劇(2020年5月上旬号)- 6
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。