世界同時封鎖
新型コロナウィルスの影響で、世界各国の国境はかつてないほどに厳重に管理されております。人の行き来も制限されておりまして、日本で暮らす280万人以上の在住外国人らが不安な日々を過ごしております。私は日本で学ぶ留学生のことが気になっています。日本にあるアメリカ大使館などはビザの発給を停止し、留学生に多大な影響を与えております。
人の移動や移住というものをどのように捉えたら良いのか。それは、その国・地域の政治や経済にとっていかなる影響を与えるのか。まずは日本を事例にして歴史的に考えたいと思います。
まずは日本人移民の歴史です。江戸時代は鎖国をしておりましたので、移民が本格的に始まったのは明治に入ってからです。しかしその兆候は徳川末期にすでにありました。戊辰戦争のときです。
ハワイを開拓せよ
薩長土肥と幕府が最後の戦いを繰り広げているときです。そのどさくさの中で、当時のアメリカ公使館にある指令が届きました。それはハワイの国王からでして、ハワイのさとうきび畑に日本からの移民を送るように、と記されておりました。
そこでヴァン・リードというオランダ系のアメリカ人ですが、その男が幕府に行き、「こうこう、こういうことをしますから許可証をください」と懇願しました。幕府は承諾し、実際の移民輸送政策が実現することとなりました。なお当時のアメリカ公使官はハリスでしたが、ヴァン・リードはその下で働いていた書記官です。
彼は日本人を158人か153人ほど、諸説はありますが集めて、ハワイに送りました。この中には女性も含まれておりました。
奴隷の下で
ハワイのさとうきび畑へと送られた移民たちは、現地にて牛馬のように働きました。先に奴隷たちがわんさかおりましたが、彼らにも上中下がありまして、日本からの移民は下の下。奴隷の下で働かざるを得ない状況でした。
朝から晩まで働いて、月4ドルほどです。2ドルはキャッシュでもらって、あとの2ドルは手形をもらう形です。当時の4ドルは今で言えば約5万円です。日本では徳川幕府が崩壊し、明治政府が出来ておりましたが、新政府にはすでに「移民たちが酷使されている」といううわさが届いておりました。
明治政府が2人の視察官を送ってみると、移民たちは地獄のような生活を送っていることがわかりました。大問題になります。日本政府は怒り狂い、移民たちの給料の引き上げを要求。結果として4ドルから15ドルになりました。しかし、あまりにも酷い生活だったことから、視察官と一緒に77名ほど、すなわち約半分が帰国しました。その後、明治政府は「このやろう、絶対移民なんかさせないぞ」とお怒りになり、17年ほど移民政策を禁止しました。
西鋭夫のフーヴァーレポート
日系移民の悲劇(2020年5月上旬号)- 1
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。