ドーピングの功罪

by 西 鋭夫 June 13th, 2024

快進撃を支えたもの

ドイツ軍による快進撃の裏には麻薬の存在がありました。ドイツ軍と戦った他国の軍隊は、彼らはなぜこんなにも勇敢なのか、なぜ3日も4日も寝ずに戦い続けられるのか、と不思議に思っておりました。「あいつら、物を食べているのか、水を飲んでいるのか」と疑われるほど、ひっきりなしに攻撃が続くわけです。しかも勇猛果敢で、死を恐れないのです。

それほど麻薬をたっぷりと摂取していたのです。実際、ドイツ軍の後方には薬を作る工場がじゃんじゃんと出来ていきました。薬なくして、ドイツ軍の快進撃は起こり得なかったことだと思います。

さて、このことをどう考えるかです。薬なんてけしからん、と考える人が大勢でしょう。しかし、国の命運がかかっているのですよ。負ければ惨めな思いをするだけですし、皆さん殺されてしまう可能性さえあるのです。国の歴史も消えます。皆さんがその国のトップだったらどうしますか。是が非でも国を守る、戦争に勝とうとするのではないでしょうか。

後方支援

薬というとあまり良いイメージがありませんが、これは今で言う一つのドーピングと考えてみてください。精神を高揚させたり、興奮させたりすることで、高い運動能力や持続力を発揮します。

薬が使われたのは前線だけではありません。当時のドイツでは一般にも薬物が使われている状況でしたから、それをどう用いるかを皆さんしっかりと理解していたわけです。

軍事工場で一生懸命に働く女性たちもドーピングをしていました。食べ物はどんどんと悪くなってくるわ、爆弾は落ちてくるわ、それでも「なにくそ、ドイツ国民は優れているのだから負ける訳がない」と一生懸命に弾を作ったり、大砲を作ったり、武器を作ったりしているのです。

 

判断ミス

しかし節度を超えた利用はもちろん問題です。特権的な地位を維持しながら、様々な薬物を開発し、繰り返し使っていたのがヒトラーです。自分を鼓舞するだけでなく、不安や不満を忘れるためにも薬を使ったのでしょう。麻薬漬けになったヒトラーはすでに冷静な判断が出来ぬほど、体も頭も蝕まれておりました。

例えば、ヒトラーはなぜロンドン爆撃を中止したのか。私は第二次世界大戦の七不思議と呼んでいるのですが、その決断は明らかに過ちでした。あと1週間続けていたら、ロンドンは落ちていたのです。しかしヒトラーはイライラしすぎて、ある日、突然「ロンドン空襲やめ」と言ってしまったのです。アメリカもまだ参戦していない時です。

その代わり、ソ連の国境を破ってソ連に入っていきました。600万人の兵隊と3000から5000の戦車部隊、そして上からはメッサーシュミット爆撃機、戦闘機が黒い津波のようにウォーッと押し寄せていました。バルバロッサという有名な作戦です。それでどんどんとドイツがソ連の領土を支配していくのですが、ヒトラーはモスクワ攻略を急ぎ、優秀なドイツ将校の話を聞かずに進軍し続けました。

極寒の冬が訪れた時、ドイツ軍は完全に止まりました。冬将軍に敗北したのです。

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
ヒトラーと麻薬(2019年12月上旬号)-7

 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。