収容所
ヒトラーをこれまでとは異なった視点から捉え直してみたいと思います。一つは彼の経済政策についてです。ナチス・ドイツと聞くと、残忍なイメージが先行しますが、どれだけ多くのドイツ国民が彼とその政党を熱狂的に支持したのか。そのことを忘れてはいけません。
第一次世界大戦によって、どん底に落とされたドイツ経済を立て直したのはヒトラーです。景気も劇的に回復し、「ヒトラーの奇跡」とまで呼ばれております。
ユダヤ人らを捕まえて働かせた収容所は経済政策という側面もありました。ドイツ国内だけでなく、占領したポーランドにもたくさんの収容所を作りましたが、そうした施設作りを最初に担ったのはドイツ人です。経済的に打ちのめされたドイツ国内には、多くの失業者がおりました。ヒトラーは彼らに仕事を与えることで、その窮状を救ったのです。
高速道路網
ドイツのアウトバーン、すなわち高速道路ですが、それも1930年代にできたものです。道路自体は素晴らしいものです。日本の高速道路は見習った方が良いかもしれません。そのくらい、立派なものです。
以前、友人の運転でアウトバーンを走ったことがありますが、とても貴重な経験をしました。130キロくらいで走っていると、後ろからライトがピカ、ピカと光りました。「早く、そこをどけ。遅いぞ」ということらしいです。それで、一番左が一番速いレーンだったので、右のレーンに移りました。
移った瞬間に、何か弾丸みたいなギーンという音がして、ポルシェ、ポルシェ、ベンツ、ベンツ、ポルシェが一列になって走り去って行きました。速度制限がないのでおそらく200キロぐらいで走っていたのではないかと思います。
ところが20分ほど走ると、私たちの車を抜いていったと思われるポルシェやベンツが、1つの鉄の塊になっているところを見ました。事故です。誰かが急に止まったのでしょう。それでグシャとなっていました。これを「アコーディオン」と呼ぶのだそうです。アコーディオンという楽器がありますね。事故の様子がそっくりだというのです。
フォルクスワーゲン
ポルシェを作ったドクター・ポルシェが、フォルクスワーゲンを作りました。ヒトラーに「おまえ、そんなに高い車ばかり作らないで、一般のドイツ国民が給料で買える車を開発せよ」と命令されたのです。ただ安ければ良いというわけでなく、「家族4人が乗れて、ワンちゃんも乗せられる頑丈な車を作れ」とのこと。それをポルシェさんが見事に実現しました。
皆さんよくご存知のフォルクスワーゲンです。それが国民の車となりました。人々は熱狂しました。お金持ちだけのものと思われていた車を自分たちが買えて、乗ることができるのですから。
独裁者を一つの側面だけで見てはいけません。ヒトラーの才能と実際の経済政策に惚れたのがドイツ国民なのです。反対なぞ簡単にできるものではありませんでした。ヒトラーを支持し、あの残忍さを見抜くことができず、盲従していたのはドイツ国民なのです。
西鋭夫のフーヴァーレポート
ヒトラーと麻薬(2019年12月上旬号)-4
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。