ヒトラーの頭蓋骨

by 西 鋭夫 May 20th, 2024

一枚のレントゲン写真

2ヶ月ほど前、フーヴァー・アーカイブスで色々なものを見せてもらいました。その時、「トシオ、こんなものがあるのよ」と言われたのが、一枚のレントゲン写真です。そこには頭蓋骨が写っていました。傷のない頭蓋骨です。「これは誰の写真ですか」と聞いたら「アドルフ・ヒトラーの写真だ」と教えてくれました。

これはもちろん生きている時に撮られたレントゲン写真です。ではいつ、何を目的に撮られたものなのか。

ヒトラーが戦争に負ける1944年頃の話です。ナチスの将校たちが「ヒトラーの責で、俺たちは戦争に負けるかもしれない。負けたら国は分断されるだろうし、悪いことしか起こらないぞ。だったら早くこいつを殺してしまえ」と、暗殺を企てたのです。そこで地下にあった会議室に、ブリーフケース型の爆弾を仕掛けました。

これが上手く爆発すれば、ヒトラーは死んでおりました。ところが、暗殺に関わっていない1人の男がそのブリーフケースを後ろの方に動かしたために、ヒトラーは命拾いします。爆弾は爆発はしたものの、ヒトラーはかすり傷程度だったと言われています。しかし、もし頭に何か異常があったら大変だということで、レントゲンを撮ることになったのです。その時の写真が、フーヴァーアーカイブスにあったのです。



薬物使用

さて、その写真を見ると、上の前歯と下の歯が少しあるだけで、あとは全部取り外しの出来る総入れ歯であったことがわかりました。そこから「ヒトラーはなぜこんなに歯が悪いのか」という疑問が出てきました。

最初は栄養失調が疑われましたが、現在では薬物使用が最も有力な説となっています。すなわち薬物によって歯がボロボロと抜けていたのです。しかしにわかには信じられませんでした。そんな時、ドイツで『ヒトラーとドラッグ』という本が出ました。私はドイツ語が読めませんが、それはアメリカですから、途端に英訳されてアメリカで爆発的なベストセラーになりました。今は日本語にも訳されております。

それによると、ドイツでは第一次大戦後から様々な麻薬が出回っていたようです。戦いに敗れたドイツでは、明日への希望もなく、楽しみもなく、食糧もほとんどなかったわけです。そんな中でアヘンから作ったモルヒネやヘロイン、コカから作ったコカイン、さらにはそれらを混ぜたいろいろな薬物が出回っていたと書いてありました。

 

敗戦兵としてのヒトラー

薬物は高いだろうと思うかもしれませんが、大量生産されておりましたので価格は抑えられておりました。警察はもちろん規制を考えたと思いますが、そんなことをしたら警察が逆に襲撃されてしまうでしょう。大戦後のドイツはそれほど荒れ果てていたのです。

ヒトラーも第一次世界大戦に参戦し、あちこちで傷を受けた男でしたから、帰国後は荒廃した祖国を経験していたと思われます。仕事もありませんでした。絵描きになりたかったようですが、なれませんでした。

そんな状況下で、ヒトラーは麻薬に手を出していきます。ただ麻薬は使い方によっては、精神状態にも、体にとっても痛みを取るといった点で効きますから、ヒトラーも、またドイツ国民もそれほど抵抗はなかったように思います。

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
ヒトラーと麻薬(2019年12月上旬号)-1

 

 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。