美意識と法
京都駅に着いても、「京都に来た」という実感がありません。これは多くの外国人観光客も感じていることでしょう。
そんな京都ですが、もちろんさまざまな対策を行なっております。しかしそれが本格化したのは、2007(平成19)年の景観条例以降でしたね。ないよりは良いと思いますが、少し遅かったのではないでしょうか。
ヨーロッパなどでは美しい街並みが保存されております。その土地の駅に着くと、歴史を感じる素晴らしい景観が広がっております。
日本人の美意識は世界有数のものだと思いますが、この差はいったいどこから生まれるのでしょうか。答えの一つは「法」に対する考え方です。日本人はどんなに意識が高くとも、自分たちで法を作り、何かを守る、という政治的発想がほとんどありませんでした。
権利としての自由
政治家の質も大きな障害の一つです。ただし、問題はそれ以上に深いものだと思います。なぜならそれは「自由」に対する考え方にも関連するからです。
日本では「個人が土地を持ち」「個人が家を持つ」ことになっています。そのため、土地や家のことについては、所有者が何でもできると考えられているのです。「俺の自由だ」というやつです。
しかしこれは、万国共通のルールではありません。例えば、アメリカにはこの自由がありません。近所にある大きな木を切ることも許してもらえません。自分の家にとって「木が邪魔だから木を切る」と言い出したら、アメリカでは「お前は何を言っているのだ」となります。木は個人の権限でどうにかなるものではなく、町のものなのです。
木だけではありません。日本で言う古民家のような家も個人のものではありません。昔、東海岸のロードアイランドという、アメリカで一番小さな州がありますが、そこで暮らすある先生宅に招待してもらいました。1770年代の家で、家具なども国宝級とのことでした。自分の家ではなく、町から許可を得て住んでいると話しておりました。
誰かが住んでいると家は崩れません。管理をしながら、古いものを大切に使っていくのです。街並みもそうです。個人の自由で何か手を加えてはいけません。
植栽政策
トランプさんがこの間、10兆円か100兆円かは忘れましたが、莫大な予算でもって、「アメリカ全土に木を植えましょう」と言いました。
全米で大喝采です。私も大賛成です。外交のためでも、何か特定のしがらみのためでもありません。理由は何でもいいので、木を植えましょうと。これも一つの政治の形です。感動がありました。
日本でこの発想はありませんし、古い木はなんだかんだと理由をつけられ切り倒されていきます。東京を歩いておりますと、電信柱ばかりで嫌になります。最近では少しずつ緑も増えてきましたが、あれで緑があると思ってはいけません。アメリカにおける街路樹の多さは尋常ではありませんよ。
私たちが実際に住む町の中に、もっともっと木を植えてください。電信柱、電線を地下に埋めてください。日本の素晴らしい景観を取り戻してほしいと思います。
西鋭夫のフーヴァーレポート
国土復興と防衛(2020年3月上旬号)-9
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。