競馬
イギリスからの独立を勝ち取ったアメリカは、イギリス発祥の「アマチュアリズム」の影響を受けたのでしょうか。答えはノーです。その影響はほとんどありませんでした。
ただ、アメリカでは人種差別がすごかった。野球はアメリカで始まりましたが、黒人がメジャーリーグに入れてもらえたのは1947年のことです。それまでは、黒人にいくら才能があっても野球をさせてもらえませんでした。
しかし黒人も黙っておりません。イギリス貴族のスポーツとされていたホースレース(horse-race)、すなわち競馬に注目しました。なぜでしょうか。それは長い間、農場で奴隷をやっていましたから、馬の扱いに慣れていたのです。彼らにとってはどの馬が早いか遅いかというのは、もう見ただけで分かるような世界でした。
それで競馬をやると、皆さん賭けをしますから、勝てばお金がガバッと入ってきます。そのため、才能ある黒人たちがどんどんと競馬の世界へと入っていきました。
なお、当時のアメリカでは黒人は差別の対象ですから、競馬は基本的には黒人のものと考えられており、見下されておりました。今では当たり前のように白人の騎手がいますが、当時としては考えられないことでした。
ボクシング
ボクシングの世界も一緒です。ボクシングは黒人のスポーツと考えられていました。それで時々、白人と黒人が戦うのですが、そうなるともう大変な騒動です。
白人は白人の方が絶対に強いと思っているので、「早く黒人を殴り倒せ」と躍起になります。しかし、大抵の場合、黒人の方が強いので、白人はコテンパに打ちのめされ、倒れます。
そんな世界ですから、黒人が下手に勝ってしまうと、殺されてしまうこともありました。残酷な世界です。
ベルリン五輪
しかし時代は変わっていきます。ナチス政権下で行われた1936年のベルリン五輪は、黒人とスポーツの関係において一大転換点となりました。
ヒトラーたちが主催したその大会にて、あろうことか、アメリカから参加した黒人選手が100メートル走で優勝したのです。ヒトラーも開いた口がふさがらなかったと思います。黒人は「劣等人種」だと信じられていたので、「何であいつが一番なのだ」と怒り狂いました。この選手は数々の記録を塗り替え、大スターとなりました。
米国に帰国した彼は再び差別を受けることになるのですが、米国内でも少しずつ黒人に対する考え方が変わっていきました。メジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンの登場です。彼は足も早く、守備も抜群に上手い、ホームランバッターでした。そんな彼の登場が、黒人と白人の間にあった壁をバキッと壊したように思います。1947年のことでした。
西鋭夫のフーヴァーレポート
スポーツ大国アメリカ(2020年2月下旬号)-6
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。