スポーツとお金
日本社会では、スポーツをしてお金を稼ぐことはあまりよく思われておりません。「スポーツで金儲けなんて卑しい」などと、あまり良いイメージがありません。
むしろ日本では、お金とは無縁で、一生懸命にスポーツに打ち込むことや、己の利益とは別にスポーツ自体を楽しむことに、より大きな価値が置かれているように思います。スポーツマンシップを大切にする風潮です。
この背後にあるのが「アマチュアリズム」の精神です。お金のため、営利目的ではなく、スポーツを純粋に楽しむべきだという思想です。明治時代にイギリスから入ってきました。
プロとの違い
日本でアマチュアリズムと聞くと、プロフェッショナルではなく、中途半端なイメージを与えますが、もともとはイギリスの貴族たちが行うことを指す言葉でした。つまり、お金のためではなく、娯楽として楽しむことを目的としたわけで、それはプロフェッショナルな世界よりも、高貴なものと考えられておりました。
ラグビーはその代表例です。例えば貴族たちは、オックスフォードやケンブリッジなどの名門グループに分かれてラグビーを楽しみました。もちろん裕福な貴族たちの娯楽ですからタダで観戦できました。「皆さん、私たちのスポーツを見にきてください。お金は取りませんよ」というわけです。
こんなこと平民には無理でしょう。彼らはそれぞれにサッカーチームを作り、「俺たちのサッカーを見たいのだったらお金を払ってね」とやりました。どんどんとサッカーが上手くなれば、すなわちプロフェッショナルに近づけば、より多くのお金を取ることができる。ですからイギリスには、プロフェッショナルなサッカー選手たち、サッカーチームがたくさん誕生していますよね。
メダルが取れないのはなぜか
しかし、貴族から言わせれば「お金をもらってサッカーをするなんて、なんと卑しい」「技術を磨くのはお金のためなのか」と、そんな疑問が投げかけられるような世界なのです。軽蔑の対象でした。貴族たちは「私たちはアマチュアであって、プロではない。プロより高い場所にいるのだ」と考えておりました。
この発想が、そのまま明治時代に入ってきたのです。そのため当時の日本は、「スポーツはアマチュアリズムの精神でやらなければいけない」と錯覚してしまいました。実を言うと、その精神でもってスポーツを行うことができる貴族など、当時の日本にはいなかったわけですが、日本ではこの流れは大きく変わらず、オリンピックも競技会も基本的にはずっと「アマチュア」が主流でした。
プロが競い合う世界的な舞台で、アマチュアが勝てるわけがないでしょう。日本ではこの20年、30年でようやくプロフェッショナリズムの重要性が理解されてきておりますが、その歴史はまだまだ深くありません。
スポーツ大国アメリカ(2020年2月下旬号)-5
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。