苦い思い出
日本の部活動やスポーツ指導はいわばスパルタです。現在の状況は分かりませんが、少なくとも私が学生の時から80年代、90年代にかけてはスパルタ式の練習や指導が行われていたように思います。
私は学部時代、フェンシングをやっておりましたが、今から思うと練習ばかりしておりました。そのために体がいつも疲れ果てているのです。あの当時はまた、練習中、水を飲んではいけませんでした。思い出すだけでゾッとします。うっかり水を飲んでしまうと先輩にぶん殴られました。
一生懸命に練習して、水も断つことで、精神的に強くなるというやつです。確かに精神的には強くなりましたけれど、もう体はボロボロでした。夏などは特に汗をたくさんかきましたが、水が入ってこないため、血液が濃くなり筋肉に酸素がよく回らなくなっていきました。あれは非常に良くない。血管もずたぼろでしょう。
合宿
私たちの監督は、5~6年前に主将を務めておられた先輩でした。良い選手が、良い監督になると信じられていたのでしょうが、その頃はそれが当たり前のように行われていました。
合宿については「よくあれを耐えたな」と思います。朝から晩まで、水をほとんど飲ませてもらえない状態で練習に励みました。私は水が飲みたくてどうしようもなかったので、わざと田んぼに落ちて、田んぼの水を飲みました。
夜は反省会です。何を反省するかはもちろんわかりませんが、廊下の敷居のところに皆さん正座をさせられました。徳川時代の拷問のようなものです。
体罰
日本ではいわゆる体罰というのも当たり前のように行われていました。出来ない選手を棒で叩いたり、殴ったり、さらには何時間も重いものを持たせたまま立たせるなど、様々な体罰がありました。今では完全にパワハラとして訴えられますが、当時の日本では当たり前のように行われておりました。
一方のアメリカでは昔から、体罰についてはかなり敏感です。アメリカは訴訟大国ですから、コーチとして、あるいは監督として生涯食っていきたいと思えば、絶対に体罰は行いませんし、選手に手は出しません。試合中などは怒鳴っておりますが、手は絶対に出しません。出した途端、裁判になり、監督生命を断たれます。
スポーツ大国アメリカ(2020年2月下旬号)-4
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。