漬物
第二次大戦中の日本軍は何を食べていたのでしょうか。最前線の兵たちを支えていたのは、今でも皆さんが食べております漬物です。漬物は保存がききますね。そして栄養価も高い。ぬか漬けにするとビタミンCは溶けてなくなりますが、ぬかにあるビタミンBなどを吸収することができます。
日本軍はアジア各地の戦場に派遣されて行きましたが、その時に漬物用の樽を持ち歩いていました。命の源ですから必需品です。
問題は漬けるものをどう調達するかでした。日本軍は基本的に現地調達です。これは近代日本でも同じで、侍たちは戦場やその周辺では現地調達を行なっておりました。ですから、日本で今も食べられているような白菜ですとか、大根の漬物を日本から持っていったというわけではなく、現地の様々な食べ物を漬物にしていったのだと思います。
アヘン
ところで、現地調達といっても、そんなに簡単ではありません。日本軍に進んで食料や野菜を差し出す現地人などなかなかいなかったのが現状です。そこで日本軍は何をしたか。最初に軍票と呼ばれるお札を刷りましたが、これは誰もその価値を信じてくれませんでした。
代わりに用いたのがアヘンです。絶大な効果を発揮しました。例えば中国大陸に入っていって現地調達をしようとした時、現地の人は軍票ではものを売ってくれません。しかし、アヘンを貨幣として使った途端、それはもちろんアヘンの量にて適当に換算されたのでしょうが、野菜などと交換することが出来ました。運が良ければ、豚1頭や牛1頭などと交換することも可能であったと思います。
豚肉の缶詰
一方の米軍は何を食べていたのでしょうか。日本軍と比較すると、涙が出るほどに異なっておりました。米軍が食べていたものは、スパム(SPAM)と書かれた豚肉の缶詰です。今でもハワイや沖縄で買うことが出来ます。
これはすでに調理されておりますから、それをガーッと開けて食べるだけで、かなりの量のタンパク質をとることが出来ました。これが戦地では相当な数、配られていましたから、アメリカ兵たちは体力も気力も日本兵に比べて圧倒的に違っていたと思います。
一方の日本兵は常に食料不足でしたし、現地調達ができたとしても野菜が中心でしたから、タンパク質不足でどんどんと弱っていきました。体力が落ちて免疫が下がり、風土病にかかってどんどんと死んでいきました。戦う前に亡くなった人の数は1、2万ではききません。私は100万人規模で亡くなったのではないかと思っています。
西鋭夫のフーヴァーレポート
胃袋戦争(2020年1月上旬号)-4
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。