ヘイト・スピーチ
日本では今、「ヘイト・スピーチ」に対する注目が集まっております。これは、特定の人種や集団、マイノリティに対する侮辱ですとか排斥、差別的行為を煽る言葉や言説を指します。一人の人物が行う場合もあれば、集団になって行うこともあります。
では、本人の出自や血統、民族を理由にして、その人の存在そのものを否定することは「言論の自由」と言えるのでしょうか。これは極めて繊細で、かつ重要な問題です。
「ヘイト・スピーチをやめましょう」というのは簡単ですし、聞こえも良いです。しかし、言論の自由が完全に認められた社会を100という数値で表すと、このうち99とか、98とかほぼ全ての発言が大なり小なりヘイト・スピーチに含まれてしまうのではないか、と思うのです。
例えば私は小さい頃、大阪におりましたが、その時のことを思い出しながら、「大阪の人はお金のことしか考えていない。言葉の使い方もやくざみたいだ」と言ったら、これはもう完全なヘイト・スピーチになってしまうでしょう。私に全くその意識がなかったとしても、それを聞いた人が自分に対する攻撃だと捉えたら、ヘイト・スピーチになってしまいます。
黒幕
ヘイトの感情を持っていなかったとしても、それを聞いて悲しんだり、怒ったりする人がいるかもしれません。でも、人の気持ちは本当のところは分かりません。意図も分かりません。日本では、これを言い続けたら「人を傷つけてしまうかもしれない
」と少しでも思ったら、普通の人はもう話しませんよ。話し相手もそう思ったら、お互いに何も話さなくなります。
そうすると今の日本のように、誰も、何も言わない社会が出来上がっていくのです。そのことに一番満足しているのは、権力を持っている霞ヶ関の官僚と永田町の政治家たちです。もうこれは最悪のパターンでしょう。
悪いことを見つけて、それを「悪い」と言えばヘイト・スピーチなのか。信じがたいと思われるかもしれませんが、規制、規制でがんじ絡めになった日本ではそう言われる可能性があります。私はお客さまから絶えず「西先生のような話をして、身の危険を感じられたことはありませんか?」と聞かれます。今のところはないですが、地下鉄に乗る時は必ず大きい柱の後ろに立つようにしています。
規制反対論
ですから、ヘイト・スピーチという名前の法律を作ってしまったら大変です。ヘイトとレッテルを何かに貼ったその時から、言論の自由はなくなります。
外国人いじめなぞ、世界中であります。日本以外の国に行けば、日本人が大嫌いな人たちは大勢おります。にもかかわらず、良いことをしているかのような雰囲気を醸し出しながら、人権と平等を謳い、ヘイト・スピーチを規制しようとする。この巧妙さといやらしさが私は非常に危ないと思うのです。
皆さんにはこの現象が将来的に何をもたらすのか、と冷静に考えてほしい。それはむしろ、権力者側の言論統制のためなのです。現在進行中です。ですから、ヘイト・スピーチに対しては、規制ではなく、反論で対抗しないといけないのです。
西鋭夫のフーヴァーレポート
言論の自由(2019年6月下旬号)-4
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。