日章旗
戦後の日本では「愛国心」という言葉は死語に近く、口に出す人もめったにおりません。観念的なものなので、実感としてもなかなか掴み難いものだと思います。私の場合も同じで、日本から出て、初めて海外で暮らすことになってから、「愛国」ということを、あるいは私が日本人であるということを感じました。それはとても強烈な経験でした。
私がアメリカに行ったのは1964年の夏です。その頃のアメリカには、まず日常生活のどこを探しても「日章旗」や「日の丸」などはありませんでした。しかし、1年ほど経った頃でしょうか。シアトルの町で何かのお祭りがあった時、万国の旗に混じって、日本の国旗を発見しました。
見つけた瞬間にドキッとして、感動しました。皆さん、私は右翼とか左翼とかそんな話をしているのではありません。1964年のアメリカで、全く予期せぬ形で日本の国旗を見た時、「俺は日本人なのだな」と実感したのです。今でも胸が熱くなるほどに感動的な瞬間でした。
CIAからの誘い
私はそれまではよく分からなかったのだと思っています。日本にいても、おそらく「日本人」だというのは分からないのです。外に出て初めて、ある程度揉まれて、その後に鏡に映った己を見て「日本人だ」と気づくのです。
そんな私に「日本人をやめてアメリカ人になれ」というお誘いがありました。CIAからのお誘いです。このことについては、私はあちこちで話をしていますし、私の本でも読んだ方がおられるかもしれませんが、その内容は次のような感じでした。
それは私が博士号を取って1週間後のことでした。シアトルのアパートに突然、電話がかかってきました。CIAからの最初のコンタクトです。それで次の日、昼食会がありまして、いわゆるスパイのリクルーターと私とでお話をしました。3時間ほど、非常に楽しい会合でした。そして私はCIAに入りたいなと思いました。
国籍
しかし、それは非常に難しいことがわかりました。そのリクルーターは「おまえの国籍はどこだ」と聞いてきたのですが、国籍は日本だと答えると、「それは困る」との返答がありました。「お前が入りたいのはCIAだろう。CIAはアメリカの組織なのだから、アメリカ市民になってもらわなければ困るのだ」と言うのです。
日本国籍をやめてアメリカ国籍を取得せよ、とそういうことですか、と聞くと「そうだ」と言われました。皆さん、この選択がどれだけ簡単に聞こえて、どれだけ私の存在、すなわち「魂」を突き刺すナイフだったかわかりますか。私もこんなことを言われるまで分かりませんでした。このリクルーターは、世界中の人々がアメリカに憧れを持ち、アメリカ人になりたいと考えているようでした。
西鋭夫のフーヴァーレポート
2019年4月上旬号「愛国心と教育」-1
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。