二つの時代を生きた名将
「武士道」という言葉は誰でも知っておりますが、説明するのが難しい言葉です。武士の間で形成されてきた道徳が「武士道」である、とも言えそうですが、肝心のその中身を定義することがなかなか出来ないのです。
歴史上の人物の中で、実際に武士道を体現した人がおります。乃木希典です。将軍ですが、私たちは彼を「乃木さん」とさん付けで呼んだりしています。
乃木希典は侍の子として幕末に生まれました。時代はそこから明治に変わっていきますが、年号は変われども最初の20年間はそのまま幕末のような社会でした。変わったのは軍隊の形とお金、そして国のトップでしょう。庶民の生活は大きく変わりませんでした。乃木はそんな江戸末期と明治時代に生きた人でした。
日露戦争
乃木は日清戦争に参戦し、それから日露戦争でも大活躍しますが、その時の彼を支えたのは「侍」としての意識です。二〇三高地をめぐる激戦では大勢の部下を失いますが、その後の敵将ステッセルとの会談で見せた彼の振る舞いは、まさに「武士」そのものでした。
敗軍の将を捕虜ではなく将軍として扱ったのです。ステッセルに対してサーベルの帯剣を認めました。そしてお酒も酌み交わしました。乃木の頭の中でステッセルは、負けたとはいえ、勇猛に戦った一人の将軍なのです。そこに乃木は尊敬の念を示したのでしょう。
世界からの賞賛
乃木が見せたその振る舞いは、世界中で爆発的に有名になりました。それもそのはず、当時において捕虜は残酷に扱われても同然の存在だったわけです。そんな中で乃木はステッセルを将軍として迎え、捕らえたロシア兵たちに対しても虐待することはありませんでした。
1905年の日露戦争がおそらく捕虜を虐待しなかった最後の戦争です。それは世界の賞賛の的となりました。日本の美学と乃木の行動が見事に重なり合い、日本人としての感動と誇りがそこに生まれました。
乃木は1912年9月30日、妻と共に自刃しました。その日は崩御された明治天皇の「大葬の礼」が挙行された日でした。
西鋭夫のフーヴァーレポート
武士道と外交(2018年2月下旬号)-4
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。