From: 岡崎 匡史
研究室より
これまで2回にわたり、GHQ占領下の日本で実施された「封鎖預金」について紹介してきました。
敗戦直後の日本国民にとって、封鎖預金は「泣きっ面に蜂」。辛酸を嘗めた人々が大勢いた。これまで貯めてきた預金を、自由に引き出せなくなるとは想像すらしてなかった。
現在でも、日本国民の貯蓄率は高い。散財せずに、勤勉に働き、銀行に貯金をする習慣が身についている。戦前では、日本人の貯蓄傾向はさらに強い。
貯蓄奨励運動
日中戦争の泥沼化、太平洋戦争の幕開けによって、日本は膨大な戦費を調達しなければならない。
政府と軍部は一体となって、「貯蓄奨励運動」を実施した。なぜなら、日本国民が貯蓄をすれば、戦時国債の返済や軍事産業への融資を促進することができるからだ。
1938(昭和13)年には「100億貯蓄」という目標が掲げらた。この数値目標はすぐさま達成され、1942(昭和17)年の国民の総貯蓄金額は500億円を超えたと云われている。
本日紹介するのは、埼玉県の某銀行が発行していたパンフレット「一億一心・預金報國・百億貯金」です。
日本の勝利をひたすら信じて「貯蓄報国」をしていた名もなき人々にとって、「封鎖預金」は裏切りのように映ったことでしょう。
ー岡崎 匡史
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。