トルーマン大統領
オバマ大統領が広島を訪れるということは、言うまでもなく原爆投下の決定を下したトルーマン大統領の評価に行き着きます。
しかし客観的に見ると、1945年のトルーマンと2016年のオバマを比べるなんて馬鹿らしい話です。トルーマン大統領は、我ら日本人をモルモットと同じように考えていましたが、オバマさんにはトルーマン大統領を批判するような業績も資格もありません。
オバマさんが大統領になられてすぐにしたことは、イラクからの、そしてアフガニスタンからの米軍引き揚げです。その結果、どちらの国もずたずたになりました。ペンタゴンは必死に抵抗しましたが、オバマさんは聞く耳を持たなかった。
原爆以外の選択肢
アメリカでは今、「我々は原爆で日本に勝利した。原爆によって、日本の降伏を促し、アメリカ兵の犠牲者を最小限にした」といった議論が定説になっております。しかし実際は、原爆以外にもたくさんの選択肢がありました。「原爆を落として戦争を終わらせた」と言うのは、アメリカのセリフです。正当化のために言っているだけです。
アメリカは「一般市民は攻撃しない」と今も言っていますが、歯が浮くような話です。広島にも、長崎にも、市民が住んでおりました。広島、長崎の前は、金沢や小倉市民も対象となっておりました。
原爆を落とされる直前の日本は、極貧状態で一日を生きるのに必死の状態です。飛行機は少しありましたが、食べ物も、武器も、ほとんどありませんでした。日本列島の沿岸はいつでも米艦隊の船で真っ黒になっていたでしょう。海の中には潜水艦が、海上には航空母艦もたくさん控えておりました。
原爆投下の真相
もう完璧に負けている状況です。大本営が知らないわけがない。そんな日本には、当時、連合軍のスパイが大勢入っておりましたから、日本国内の状況も筒抜けでした。そんな中、なぜ二発も落とされたのか。
一つ目の理由は実験です。核兵器の実験対象として、つまりはモルモットとして我ら日本人とその都市が使われた。ソ連に対する警告の意味合いもありました。二つには「俺たちはこんなものを持っているぞ。調子に乗るなよ」という、実際の兵器を用いた威嚇であり、警告です。最後に、トルーマン自身の個人的な意地とでも言えるようなものがあった。ソ連と、そしてマッカーサーに自分の凄さを見せつけたかった。
トルーマンは、第一次世界大戦に参戦した経験を持っていましたが、大砲の引き金引く男でした。司令官レベルには程遠い兵隊だったわけです。マッカーサーから見れば、「あのガキが俺の上司とはふざけるな」といった状態だったのでしょう。彼はトルーマンを馬鹿にしておりました。トルーマンは、そんなマッカーサーをなんとか見返してやりたかった。
西鋭夫のフーヴァーレポート
2016年5月下旬号「オバマ大統領による広島訪問」-5
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。