From: 岡崎 匡史
研究室より
アメリカの対日占領政策は、いつ頃から練り上げられていたのか?
それは、日米戦争が激化していた1943(昭和18)年。
米大統領の諮問機関「戦後外交政策諮問委員会・領土委員会」で議論されていた。
具体的には、アメリカが日本を占領した場合、天皇制を維持すべきか。
日本の国内事情について、直接介入するのか、それとも間接介入にとどめるべきなのか。
いかなる占領政策がアメリカと連合軍の利益になり、望ましい形になるのか。こうした意見が戦われていた。
カイロ宣言
アメリカの国務省で密かに占領政策が検討されていたものの、GHQの対日政策の基本文章は、「ポツダム宣言」と「米国の降伏後当初の対日政策」に集約される。
「ポツダム宣言」には伏線がある。エジプトで1943(昭和18)年11月22日から「カイロ会議」が催される。このカイロ会議で、連合軍による最初の対日戦争方針「カイロ宣言」が決定された。
「カイロ宣言」は、アメリカのフランクリン・D・ルーズベルト大統領(Franklin D. Roosevelt・1882〜1945)、イギリスのウィンストン・S・チャーチル首相(Winston S. Churchill・1874〜1965)、中国国民政府の蔣介石主席(1887〜1975)の首脳会議によって、12月1日に発表された。
「朝日新聞」
「カイロ宣言」は、次のように謳う。
「日本は第一次世界大戦が始まって以来、武力で占領してきた太平洋における全ての島々、満洲、台湾および澎湖諸島を中華民国に返還し、日本が占領したあらゆる地域から撤退する」
「奴隷状態にある朝鮮人を、自由と独立にむけて支援する」
「この三国同盟の目的のもと、同盟諸国、日本と戦争状態にある諸国との連携のもと、日本に無条件降伏をもたらすために重大かつ長期の継続的作戦をする」
翌日の『朝日新聞』は、「カイロ宣言」を「日本をして三等國に轉落(てんらく)せしめんとする日本本土處理にまで言及した侮辱的決議である」「かゝる荒唐無稽なる対日決議は、われはれとしてはとるに足らないものなるは明白」であると報じている。
『朝日新聞』が報じた、とるにたらないと思われていた「無条件降伏」という文面は「ポツダム宣言」、さらに「降伏文書」にも影響を及ぼした。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・U.S. Department of State. 2004. Occupation of Japan: Policy and Progress, University of Press of the Pacific.
・井門富二夫編『占領と日本宗教』(未來社、1993年)
・森田英之『対日占領政策の形成』(葦書房、1982年)
・「カイロ會談・敵傲慢の決議」『朝日新聞』1943年12月2日。
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。