明治維新と祭政一致

by 岡崎匡史 June 5th, 2021

blog210.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

「明治維新」は、革命ではなく、復古主義。
明治維新は、古代の民族的ルーツにその根拠を求めた。

英語で明治維新を表記すると「Meiji Restoration」。
決して、「Meiji Revolution」(明治革命)ではない。

明治政府は1868年3月に天皇の名で「五箇條の御誓文」を発布、7月には江戸を政治の中心として東の都、すなわち「東京」と改称。9月に元号を「明治」と改め新しい時代の幕開けを迎えた。

政権の中心を「京都」から「東京」へ移したことで、天皇の政治的・宗教的権威を高める復古主義と共に、皇室の伝統が再構築されていく。

文明と野蛮


明治政府にとって西洋に追いつくことが国是であった。「関税自主権」「治外法権」を撤回させるには、西洋諸国から「文明国」として認知される必要性がある。国際的に対等な地位に登らなければならない。

日本の近代化には、常に宗教問題がはらんでいた。西洋中心主義が幅を利かせていた当時、「文明国」の条件はキリスト教的世俗国家。 日本のような非キリスト教国は、「野蛮」と見なされていた。

日本が西洋諸国から「文明国」として認められるには、キリスト教国になることが一番手っ取り早い方法である。近代化とは、キリスト教を採り入れることだという時代精神であった。当時、多くの西洋人は、「キリスト教こそ近代世界の精神的基礎を形成」し、「日本が国際的に対等の地位に到達するにはキリスト教国になる必要がある」と信じていた。

しかし、明治政府はこの選択を取らない。国民の間でも、福澤諭吉(1835〜1901)が言うように、キリスト教を国教にすることは「恰(あたか)も属国たるの情を免かれず」という独立心が強かった。

祭政一致


明治政府に残された道はただ一つ、キリスト教に対抗するイデオロギーをもって、日本独自の道を選択することである。日本民族の「防衛本能」が働いたと言ってよい。

日本のアイデンティティーを追求したら、外来の仏教や儒学ではなく、日本古来の「神道」に明治政府は救いを求めた。

幕末から西洋諸国との衝突で、復古神道を唱導した平田篤胤(1776〜1843)をはじめとする水戸学の尊王思想が醸成されていた。

日本の民族的統一の原動力には、古代の天皇に憧れる強烈な復古主義思想が背景にあり、水戸学者たちは神道の復権を目指す。彼らは、日本国が近代国家として発展してゆくための活路として、「祭政一致」の体制を打ち立てることに邁進した。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・子安宣邦『国家と祭祀 国家神道の現在』(青土社、2004年)
・マリウス・B・ジャンセン編『日本における近代化の問題』(岩波書店、1968年)
・岩谷十郎、西川俊作編『福澤諭吉著作集 第8巻 』(慶應義塾大学出版会、2003年)
・ 葦津珍彦『明治維新と東洋の解放』(皇學館出版部、1995年)

この記事の著者

岡崎匡史

岡崎匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。

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