フェラーズ文書

by 岡崎匡史 February 13th, 2021

blog195.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

フーヴァー研究所には、日本に関する様々な史料が保管されております。

ここ数十年、日本研究でよく閲覧される文書は「フェラーズ文書」です。

1945年9月27 日、昭和天皇が初めて米国大使官邸にマッカーサーをご訪問なされました。その時、接待役として昭和天皇をお出迎えした人物がボナー・F・フェラーズ准将(Bonner F. Fellers・1896〜1973)です。

フェラーズは、戦後天皇制の温存と象徴天皇制の形成に重要な役割を果たした軍人です。

マッカーサーが昭和天皇を戦犯から救う「極秘電報」を国務省に送ったことは知られております。しかし、その下敷きとなる文章がある。それを作成したのがフェラーズ准将。

日本近代史を語る上で重要な文書ですので、英文と和文(拙訳)を掲載します。


【英文】


2 October 1945.

Memorandum To The Commander-In-Chief:


The attitude of the Japanese toward their Emperor is not generally understood. Unlike Christians, the Japanese have no God with whom to commune. Their Emperor is the living symbol of the race in whom lies the virtues of their ancestors. He is the incarnation of national spirit, incapable of wrong or misdeeds. Loyalty to him is absolute. Although no one fears him, all hold their Emperor in reverential awe. They would not touch him, look into his face, step on his shadow. Their abject homage to him amounts to a self abnegation sustained by a religious patriotism the depth of which is incomprehensible to Westerners.

It would be a sacrilege to entertain the idea that the Emperor is on a level with the people or any governmental official. To try him as a war criminal would not only be blasphemous but a denial of spiritual freedom.

The Imperial War Rescript, 8 December 1941, was the inescapable responsibility of the Emperor who, as the head of a then sovereign state, possessed the legal right to issue it. From the highest and most reliable sources, it can be established that the war did not stem from the Emperor itself. He has personally said that he had no intention to have the War Rescript used as Tojo used it.

It is a fundamental American concept that the people of any nation have the inherent right to choose their own government. Were the Japanese given this opportunity, they would select the Emperor as the symbolic head of the state. The masses are especially devoted to Hirohito. They feel that his addressing the people personally make him unprecedentally (sic) close to them. His rescript demanding peace filled them with joy. They know he is no puppet now. They feel his retention is not a barrier to as liberal a government as they are qualified to enjoy.

In effecting our bloodless invasion, we requisitioned the services of the Emperor. By his order seven million soldiers laid down their arms and are being rapidly demobilized. Through his act hundreds of thousands of American causalities were avoided and the war terminated far ahead of schedule. Therefore having made good use of the Emperor, to try him for war crimes, to the Japanese, would amount to a breath of faith. Moreover, the Japanese feel that unconditional surrender as outlined in the Potsdam Declaration meant preservation of the State structure, which included the Emperor.

If the Emperor were tried for war crime the governmental structure would collapse and a general uprising would be inevitable. The people will uncomplainingly stand any other humiliation. Although they are disarmed, they would be chaos and bloodshed. It would necessitate a large expeditionary force with many thousands of public officials. The period occupation would be prolonged and we would have alienated the Japanese.

American long range interests require friendly relations with the Orient based on mutual respect, faith and understanding. In the long run it is of paramount, national importance that Japan harbor no lasting resentment.


BONNER F. FELLERS,
Brigadier General, G.S.C.,
Military Secretary to the C-in-C.


【和訳】



1945年10月2日

連合軍最高司令官あて覚書


天皇に対する日本人の態度は概して理解されていない。キリスト教徒におけるような絶対神・創造主を日本人は信じていない(筆者挿入文「日本人は八百万の神を信じており、日本人は天皇を通じて、祖先信仰もしくは大祖先の声を聞く」*この文章を入れることで理解が高まる)。天皇は、祖先の美徳を体現する民族の生ける象徴である。天皇は国家精神の化身であり、不正や過ちのない存在で、天皇に対する忠誠は絶対的なものである。だれも天皇を恐れたり、天皇の身体に触れたり、顔をまじまじと見たり、話しかけたり、影を踏んだりはしないが、すべての国民は天皇に畏敬の念を抱いている。天皇に対する彼らの卑屈なまでの忠誠は、宗教的愛国心に支えられた自己犠牲であり、この深さは欧米人には理解できない。

天皇を、国民や役人と対等の人間であると考えを抱くことじたい冒涜であろう。戦争犯罪人として天皇を裁判にかけることは不敬であるのみならず、精神的自由の否定となるものであろう。

1941(昭和16)年12月8日の「開戦の詔書」は、当時の主権国家の元首として宣戦布告をした天皇としては、免れえない責任を示すものである。だが、政府関係者の最上層の信頼しうる筋によれば、戦争は天皇が自ら起こしたものではない確証がある。天皇は、東條(英機)が利用したような形で「開戦の詔書」を、使わせるつもりはなかったと述べている。

いかなる国家であろうと、国民はその政府をみずから選択する固有の権利があることは、米国人の基本的観念である。日本人にそのような機会が与えられたとしたら、天皇を象徴的国家元首として選ぶであろう。大衆は天皇を格別に敬愛している。天皇がみずから直接に国民に語りかけることによって、天皇をかつてないほど身近に感じている。平和を望んだ「終戦の詔書」は、国民の心を喜びで満たした。天皇が操り人形ではないことを今や国民は知っている。天皇を存続させることは、自由主義的な政府の樹立することを妨げないと国民は考えている。

日本に無血侵攻を果たす際に、米国は天皇を軍事的に利用した。天皇の命令により、700万の兵士が武器を置き、すみやかに動員解除されつつある。天皇の措置によって何十万もの米国人の死傷が避けられ、戦争は予定よりもはるかに早く終結した。したがって、天皇を大いに利用したにもかかわらず、戦争犯罪として彼を裁くならば、それは、日本国民の目には裏切り行為に等しいものと映るであろう。そのうえ、日本人は、「ポツダム宣言」で示した無条件降伏には、天皇を含む国体の存続を意味するものと考えている。

もし天皇を戦争犯罪人として裁くようなことがあったら、統治機構は崩壊し、全国的反乱は避けられないであろう。国民は、それ以外の屈辱ならばどんな不満にも耐えるであろう。日本人は武装解除されているにせよ、混乱と流出が起こり、大規模な派遣軍と数千人もの行政官が必要となるであろう。占領期間は長引き、そうなれば、占領軍は日本人の信頼を失うことになるであろう。

米国の長期的国益は、相互の尊重、信頼と理解に基づいて東洋との友好関係を保つことが必要である。将来にわたり、日本に永続的な敵意を抱かせないことが米国の国益に最も重要である。


最高司令官付軍事秘書
参謀団
ボナー・F・フェラーズ准将




ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・"Memorandum to the Commander-in-Chief," 2 October 1945, Bonner F. Fellers Papers, Box 41-14, Hoover Institution, Stanford University, CA, USA.
・岡崎匡史『日本占領と宗教改革』(学術出版会、2012年)

この記事の著者

岡崎匡史

岡崎匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。

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岡崎匡史

岡崎匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。