From: 岡崎 匡史
研究室より
「恩給」(おんきゅう)という言葉は、日本から消えつつある。
しかし、現在でも1640億円もの予算が恩給費として計上されており、約23万人もの人々に対して恩給が給付されている。
恩給制度は、1875(明治8)年にまで遡る。国家に対して生命を捧げた人々に対して、またその遺族に対して支払われる国家補償制度である。
しかし、占領下の日本において恩給制度は廃止されてしまう。
この背景には、何があったのか?
傷痍軍人
GHQは、日本の軍国主義に対して極端なほど過敏であった。
マッカーサー元帥は、戦争で負傷した傷痍軍人に対する制度を「軍国主義の温床」と敵視していた。戦争で障害を負った兵士と戦死者の遺族は、保護(優遇)されていると見なしたからである。
日本としても、国民の戦意高揚をはかる必要があり、軍人を救護することは、極めて重要だと考えられていた。
傷痍軍人のための病院や療養所、社会復帰のために職業訓練から就職の世話まで行っていた。さらに、家庭状況に応じた各種保護、国鉄等交通機関の無料、印紙や切手やタバコの割引、子供のために学資援助に関する措置がとられていた。
軍人恩給と民主主義
1945(昭和20)年11月25日、マッカーサーは日本政府に対して、日本軍復員将兵の退職手当・恩給の支払い停止を命令。
マッカーサーは日本の傷痍軍人に対する保護や軍人恩給は、「世襲軍人階級の永続化」を図る産物と見なしていたのである。
「(軍人恩給)制度こそは世襲軍人階級の永続を計る一手段であり、その世襲軍人階級は日本の侵略政策の大きな源となったものである。日本人の一部が軍人となることに魅力を感じている主たる理由の一つは恩給がよいということにある」「現在の惨稽たる窮境をもたらした最大の責任たる軍国主義者が他の多数人の犠牲において極めて特権的な取扱ひを受けるが如き制度は廃止されなければならない。われわれは日本政府がすべての善良なる市民のための公正なる社会保障計画を提示することを心から望むものである。」
マッカーサーは軍人恩給の廃止により、日本の民主主義化が前進する夢見た。
恩給や保護を失った軍人たちは、占領下の日本で苦しい生活を強いられる。
軍人恩給が復活したのは、1953(昭和28)年。
GHQが去り、日本が独立を果たした直後のことだ。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・村上貴美子『占領期の福祉政策』(勁草書房、1987年)
・新村拓編『日本医療史』(吉川弘文館、2006年)
・社会保障研究所編『日本社会保障資料Ⅰ』(至誠堂、1975年)
・厚生省五十年史編集委員会『厚生省五十年史 記述編』(財団法人厚生問題研究会、1988年)
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。