2019年6月29日から30日。来日されていた西先生が、現在行っている研究の一環として、北海道をご訪問されました。
目的地は、極寒の地・網走に建てられ、日本中の凶悪犯が集められたという「網走監獄」です。
網走監獄に最も近い、女満別(めまんべつ)空港に降り立つと、6月末にもかかわらず肌寒く、東京との気温差を実感しました。冬は、零下20度から30度になるとのこと。真冬の刑務所は、想像を絶する寒さだったことでしょう。
さて、今回の目的地「網走監獄」は日本一の最恐刑務所と呼ばれ、明治の初めから昭和61年まで、実際に使われていました。囚人達が極寒の地で、どれだけ厳しい生活や労働を強いられていたかを展示を通して、間近で感じることができました。
網走訪問1日目は、博物館「網走監獄」に足を運びました。
真っ先に訪れたのは、舎房。実際に受刑者が寝泊まりした建物です。建築に使われている木材は厚く、まさに堅牢。それぞれの房は重い鍵に閉ざされ、窓には全て鉄格子がはめ込まれています。房は狭く、収監されている受刑者にしてみれば、閉塞感の強い場所だったことでしょう。
さらに、監獄内での規則を破った人を罰するための独居房も見学しました。独居房は、二重扉で窓もなく、扉を締めれば一切の光が入らず真っ暗になる設計です。独居房の壁に使われているレンガは分厚く、おそらくは音も通さないことでしょう。光も音もない小屋の中、何をすることもなく一人、時が過ぎるのを待つのは、心削られる時間だったことでしょう。
2日目は、朝から「網走刑務所」を訪問しました。ただし、現在も刑務所として使われているので、外観のみの見学です。刑務所を囲む塀は赤いレンガ造りで、脇には石碑や祠が建てられています。まるで刑務所が陸の孤島かのように、すぐそばには川が流れており、自然が豊かで外観だけでも風情のある地です。
夏でも肌寒さを覚え、冬には零下20度を下回る北の果てに建てられた網走監獄。厳しい監視の元、気を抜く暇もなく、昼は北海道の開拓に従事し、夜は狭い房に雑魚寝する日々。死者も行方不明者も出したという過酷な生活の一端を、今回の網走研究旅行に同行し、垣間見ることができました。
「刑罰」の歴史の1ページとして、現在の北海道開拓の礎となった囚人たちが、かつて日本に存在していた事実を体感できた有意義な2日間でした。
今回の西先生の研究成果につきましては、こちらのページでご案内している講座でご覧いただけます。
→西先生が現在進めている研究プロジェクト:フーヴァートレジャーや、その他の研究講座は、こちらを御覧ください。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。