From: 岡崎 匡史
研究室より
「言うは易く、行うは難し」
文章を執筆することは、どんなに優秀な人であってもたいへんなこと。
書きたい内容の構想が固まっていても、それを文章にするのが難しい。
頭のなかで駆け巡っている内容を、わかりやすく文章にするのは骨の折れる作業だ。
文献調査をすると、膨大な情報があることに圧倒され、どこから書き出してよいのか、わからなくなってしまう。そんな状態が長く続くと、自己嫌悪に陥り、現実逃避をしてしまう。
執筆は肉体労働
小説家だって作品を完成させるまでは苦悩の連続である。
日本を代表する小説家・村上春樹は、小説を「書く」という行為は、肉体労働だという。
多くの世間の人は、作家の活動を「知的書斎労働」とみなし、「コーヒーカップを持ち上げる程度の力があれば、小説なんて書けてしまう」と考えている。しかし、実際の現場は、想像とはほど遠い世界である。
「実際にやってみれば、小説を書くというのがそんな穏やかな仕事ではないことが、すぐにおわかりいただけるはずだ。机の前に座って、神経をレーザービームにように一点に集中し、無の地平から想像力を立ち上げ、物語を生みだし、正しい言葉をひとつひとつ選び取り、すべての流れをあるべき位置に保ち続ける。そのような作業は、一般的に考えられているよりも遙かに大量のエネルギーを、長期にわたって必要とする。身体こそ実際に動かしはしないものの、まさに骨身を削るような労働が、身体の中でダイナミックに展開されているのだ」(村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』文藝春秋、2007年)
創造的な作品を生み出すには、根気と気力が欠かせない。
「書く」という習慣
ゴールがなかなか見えない文章の執筆には、人それぞれのドラマがある。
「書く」という行為は、苦難と快感の連続。
私は、気分が乗っているときは、頭が熱くなり、夜になっても眠ることができない。頭がモヤモヤして、ベッドに入っても研究のことが気にかかり、夜中に起き出して、再び文章を書き出す。
眠りに入ろうとしているときのアイデアは貴重である。
翌朝、書けばよいではないかと思うかもしれないが、それではもう遅い。
アイデアは、すぐに過ぎ去ってしまう。
もちろん、書くことができないときもある。
一日中、パソコンの前に座っていても、数行しか書けないときもある。
自分に言い聞かせていることは、たとえ、文章を一行も書くことができなくとも、机に座り続けること。1週間、1カ月と、何も書くことができなくても、めげないこと。必死に考え続けてさえいれば、それは思考が醸成されている期間だから心配いらない。
文章を「書く」という生活習慣を整えることが重要だ。
ー岡崎 匡史
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。