ティグリス・ユーフラテス河をめぐる地政学

by 岡崎匡史 February 3rd, 2018

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研究室より

メソポタミア地域は、中東の火薬庫と現在では蔑まされているが、オスマン帝国が消滅するまで、文化的にも政治的にも世界の栄華を極め強い影響力を保ち続けてきた。この地域でトルコほど重要な国はない。

地政学的に有利な上流国トルコが水を保持し、下流国シリアとイラクの運命を握っている。トルコはユーフラテス河の総流出量(km3/年)の33.1km3を独占し、その量は総流出量の98.5%である。ティグリス河にしてもトルコの総流出量は27.2km3で全体の53.4%と好条件に恵まれている。

ハーモンドクトリン

国際河川での思惑は、地政学的要因を強く反映する。上流国がいかに水を使用するかによって、下流国は水量・水質や季節によって影響を受けるので不平不満が付きまとう。

上流国は水資源を開発していかに水を使おうとも下流国からの文句に耳を貸す必要はなく、「自国の領土を流下する河川について絶対的な権限をもつ」と主張し、この考えは「ハーモン・ドクトリン」(Harmon Doctrine)と呼ばれる。

1960年代以降、トルコはユーフラテス河の開発に着手し、1965年から上流に「ケバン・ダム」(Keban Dam:貯水量300億m3)を築きはじめた。トルコに続き南に隣国するシリアも「タブカ・ダム」(Tabqa dam: 貯水量116億m3)を建設し、1974年に貯水を始めた。中流国のシリアもイラクに対して地政学的優位性を誇示する。

その結果、最も下流に位置するイラクで水不足が発生する。イラクに流入するユーフラテス河の水量が3分の1に激減。イラクはシリアに水で支配されかねない。

烈火のごとく激怒するイラクは、シリアに対して猛烈に抗議するが、シリアは応じない。1975年4月、イラクはシリア国境に軍隊を動員し、シリアも戦争の構えを見せる。イラクから資金援助を受けて活動しているクルド労働者党(Parti Karkerani Kurdistan・PKK)は、タブカ・ダムを爆破する気配を見せた。

イラク南部と国境を接するサウジアラビア、トルコ北部と国境を接するソビエト連邦は、紛争の飛び火を恐れ、仲介に入る。シリアが40%の流量をイラクに渡すことで手打ちをし、瀬戸際でイラクとシリアの水戦争は回避された。

1976年、シリアはタブカ・ダムの名前を改めた「アル・タウラー・ダム」(al-Thawrah dam)に再び貯水を始めた。紛争の危機を察知した最上流国のトルコは、シリアとイラクの戦争回避のために貯水量を調整する。トルコはシリアへの水の放出量を毎秒350m3から毎秒450m3へと増加させ、下流イラクへ流す水量を増加させた。

トルコはシリアとイラクに対して協調的な姿勢はみせるが、本心としては「ハーモン・ドクトリン」を堅持している。1980年に3ヵ国でユーフラテス河をめぐる会合が開かれた際に、トルコはユーフラテス河を「トルコの川である」と持論を展開した。トルコは「善意」で下流国に水を放出しているに過ぎず、下流国への水の放出はトルコの一存によって変えることができる。


ダムと権力



砂漠地帯の中東では、ダムは権力の象徴だ。 トルコは水利権を手放すことはない。国際政治では自国の利益が優先される。トルコの言い分は、「イラクに湧く石油がイラクの物であるように、この水はこの国の物だ」。一方のイラクは、「先にやって来た者が先に権利を得る」と、6000年前のメソポタミアの時代にまで遡り、歴史性を強調し水利権を訴えるが、イラクが水源を奪うことは地政学的に不可能である。

シリアもトルコに対してユーフラテス河の配分量増加を要求する。1997年にトルコのスュレイマン・デミレル大統領(Süleyman Demirel・1924-現在)は、「われわれは、彼らの国の石油を分けてくれとは言わない。彼らも、われわれの水資源を分けてくれとは言えないはずだ」と一蹴した。

トルコの「水外交」はしたたかである。1949年、トルコはアラブの宿敵であるイスラエルを国家として承認している。イスラエルはアラブ諸国との間で幾度となく戦闘を繰り返し、多くの者が命を落としてきた。

水同盟

1962年、イスラエルのレヴィ・エシュコル首相(Levi Eshkol・1895-1969)は、「水はわれわれの血管を流れる血である」と言明。1967年6月に起きた「第三次中東戦争(六日間戦争)」では、イスラエルはヨルダン川西岸地区の水を実力行使で管理した。水は、「国家の安全保障」である。

2002年8月、イスラエルはトルコと手を結ぶ。

トルコがイスラエルに水を供給し、イスラエルはトルコに武器を輸出するという20年間にわたる長期の契約である。この契約に署名したイスラエルのアリエル・シャロン首相(1928-現在)は、「わが国にとって水は銀行預金と一緒である。将来、いつでも引き出せることが肝心だ」と発言。水を仲介にしてトルコとイスラエルは「水同盟」とも言える外交を展開した。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
国連開発計画『国連開発計画(UNDP) 人間開発報告書2006』(国際協力出版会、2007年)
村上雅博『水の世紀』(日本経済評論社、2003年)
ヴァンダナ・シヴァ『ウォーター・ウォーズ』(緑風出版、2003年)
田中幸夫、中山幹康「ティグリス・ユーフラテス川を巡る国家間紛争とその解決の可能性」『水文・水資源学会誌』Vol.23, No.2, 2010年
サンドラ・ポステル『水不足が世界を脅かす』(家の光協会、2000年)
浦野起央『地政学と国際戦略』(三和書籍、2006年)
浜田和幸『ウォーター・マネー 石油から水へ 世界覇権戦争』(光文社、2003年)
浜田和幸『ウォーター・マネー「水資源大国」日本の逆襲』(光文社、 2008年)

この記事の著者

岡崎匡史

岡崎匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。

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岡崎匡史

岡崎匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。