フラナガン神父と「赤い羽根」

by 岡崎匡史 January 13th, 2018

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研究室より

戦争の最大の犠牲者は、子どもたちだ。誰も頼ることができない「戦災孤児」である。

浮浪児たちは、乞食となり残飯をあさっていたが、やがて集団化し恐喝や窃盗を繰り返す。1948(昭和23)年2月の時点で12万人を超える孤児がいた。

戦災孤児対策に本腰で乗り出したのはエドワード・J・フラナガン神父(Edward J. Flanagan・1886〜1948)である。フラナガン神父は米国ネバラスカ州の聖パトリック・カトリック教会の助祭で、1917年に非行少年や問題児を救うために児童自立支援施設「少年の町」を設立した。

フラナガン神父は、敗戦日本で「赤い羽根助け合い共同募金」を提案したことでも知られる。皆で資金を出し合う共同募金は民主主義を体現していると考えられたからだ。

フラナガン神父の来日


1947(昭和22)年4月、GHQは浮浪児対策のために、フラナガン神父をGHQ特別顧問として呼び寄せた。

来日したフラナガン神父は、「日本の少年も世界のどの国の少年もみな同じように神から生まれる」「みんな同じ目的、同じ使命をもつている」「愛すべき子供であり愛されるべき子供である」「寒さと飢えになやむものにはまず住居と最小限度の保護を与えなければならない」と語る。

フラナガン神父は、5月16日に天皇皇后陛下に謁見する機会に恵まれ、孤児問題について意見が交わされた。昭和天皇は神父に対して、アメリカの厚意に「感謝の意」を伝えられた。


児童福祉法


5月18日、天皇皇后陛下がご臨席になって「全国児童福祉大会」が開催された。

フラナガン神父や「ララ物資」で奔走したローズ女史らが「全国児童福祉大会」に参加。

皇后陛下は、「これからの日本が子供たちにとって本当に幸福な国になることが大切だとおもいます」「戦災や引揚の孤児や遺児の身の上を思えば、何とか幸福にできないものか心がいたみます」「どうか子供たちが将来の日本を背負うにふさわしい明るい健やかな国民として育つよう努力を希望します」と挨拶をなされた。

フラナガン神父は日本で数多くの講演会をこなす。戦災孤児や不幸な境遇に置かれている子供たちを救うため公的な支援が必要だと訴えた。フラナガン神父の活躍は新聞やラジオで報じられ、日本人のあいだでも「児童福祉法」を成立させる機運が高まる。

1947(昭和22)年12月12日に「児童福祉法」が制定された。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参照しました。
・GHQ/SCAP『GHQ日本占領史 第23巻 社会福祉』(日本図書センター、1998年)
・厚生省五十年史編集委員『厚生省五十年史 記述編』(財団法人厚生問題研究会、1988年)
・財団法人社会福祉研究所編『占領期における社会福祉資料に関する研究報告書』(財団法人社会福祉研究所、1979年)
・「子供は神の子 自治の芽をはぐくめ」『朝日新聞』1947年4月25日
・「厚意に感謝 両陛下、フ神父に御会見」『朝日新聞』1947年5月17日

この記事の著者

岡崎匡史

岡崎匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。

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岡崎匡史

岡崎匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。