ブリリアントな先制攻撃
余談になるが、読者の興味をそそると思うので、話す。
1981年に、私の日本占領に関する学術書Unconditional Democracy『無条件に民主主義』がスタンフォード大学フーバー研究所出版会から発刊された。
ラスク国務長官はすでに退官されていたが、現役の時日本占領に携わっていたので、この本の書評をして欲しいと彼に手紙を書いた。
手紙の中で私が使った一語が彼の逆鱗に触れた。日本帝国の真珠湾攻撃が「抜群の(brilliant)」先制攻撃であると述べたため、彼の返答はこの一語に対して強い怒りを述べたものであった。
確かに、日本が先制攻撃をしたことが良いか悪いかは議論になる。だが、攻撃自体は、戦略上「抜群」であったことには疑いもない。
平和部隊設立
大統領就任演説でケネディは、米国民に「国が何かをしてくれるのではないかと待っているのではなく、各々の個人が国のために何ができるのかと考えるべきである」と訴え、さらに恵まれたアメリカの若者は、貧困の撲滅や基本的人権の確立に貢献すべきであると鼓舞した。
平和部隊が設立された。発展途上国で2年間以上の無給奉仕をする理想に燃えた20代の若い男女が次々と平和部隊に志願した。
平和部隊は若者の間で絶大な人気があり、参加できる資格の検査も厳しかった。
大統領就任式の様子
ベトナム戦争が激化する前の1960年代前半である。1961年から2003年までの40年間、スタンフォード大学の卒業生だけで1280名が平和部隊員になり世界中で活躍した。
全米で約14万3000人強の人材が130ヵ国で開発援助に参加した(栗木千惠子『ケネディの遺産』中央公論社、1997年)。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第1章「遊学1964年」-11
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。