1ドル=360円の時代
さて、私は1964年7月初旬、横浜から船でホノルルへ向けて出航する。その7月は、日本が総力を挙げて完成させた、世界で最初の新幹線(東京〜大阪間)が走る3ヵ月前だ。
国中、道路は舗装されてないところがほとんどで、下水道も普及してなく、映画は「白黒」で、カラーなら今では死語になってしまった「総天然色」「シネマスコープ」という言葉が使われていた時代である。
1ドルが360円。コーヒー30円。牛乳11円。コカコーラ(ガラスビンしかない)が10円。500円あればデートができた時の1ドル360円なのである。
ドルは強かった。日本(日銀)はドルを多く持っていなかったので、日本から持ち出してよいドルは僅か300ドル。
近年、日本はドルを持ち過ぎ、使い方も分からずうろたえている。日銀で永年ホコリを被っている巨額のドルを使えば、国民の生活も良くなるのではないのか。
客船プレジデント・ウィルソン号
7月上旬の良く晴れた朝の横浜港。大きな客船プレジデント・ウィルソン号の2等客室に案内された。
シャワーとトイレの付いた相部屋で、香港からの若い中国人(男)が私のルーム・メートであった。小さな丸い窓が一つあり、海水がすぐ外側に見えた。
青空の見えるファースト・クラスではない。ネズミと共同生活の3等の船底でもない。
なぜ船便にしたのかと言えば、船で太平洋を渡るロマンに駆られていたこともあるが、船賃は航空運賃の半額以下だったからだ。今はその反対で、客船は10倍以上する。
恋人2人の鉢合わせ
大阪駅では盛大な見送りを受けたが、横浜港には誰も来ない。私はブラスバンドが華やかに演奏している甲板を離れ、人々が今生の別れをしているのも見ず、投げる紙テープももらわず、ベッドに横になり「本当にアメリカへ」と興奮と不安感の入り混じった冒険前のピリピリした緊迫感を味わっていた。
「ミスター・西、お見送りの方が来られていますので、甲板のタラップの所まで来て下さい」と、英語で船内放送があった。音の中に「ミスター・西」が入っていたので理解できた。
女優さんのように美しい女性が2人、2人とも白い絹のレースのドレスを身にまとい、大きな花束を抱えタラップの真下に並んで立っていた。
私の恋人2人が鉢合わせである。
2人に「来てはいけない」とお願いしておいたのに......。2人とも頬が紅潮し、壮絶な美女。私は真っ青。2人、無言で私を見上げている。この後どうなったか恥ずかしくて書けない。世の中には、自業自得の「生き地獄」がある。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第1章「遊学1964年」-7
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。