マッカーサーの真意
国防省と統合参謀本部は、マッカーサーと国務省の主張を受け入れた。マッカーサーと国務省が同意見であるということ自体がとても稀であった。
マッカーサーは、ソ連の侵略から日本を守る自信があったのだ。
彼が日本の「永久中立」について国防省を説得している時、彼は日本から占領軍を撤退せよとも、数を減らせとも言っていない。
即ち、彼の理想とする純粋中立は、共産主義者に汚染されている東洋では、この汚染を取り除くまで達成できないので、アメリカ占領軍の駐留は必要であり、日本を自由にする平和条約は「時期が早すぎる」と言った。即ち、彼の支配下で現状を維持する。
戦争放棄
マッカーサーの考えに完全に同化している吉田首相は、
「私は戦争を放棄し、いかなる形の軍備をも持たないと宣言している憲法の賢明さに強い感銘を受けております。......私はこの知恵が、日本の領土の安全と独立を保障する最善のものであると確信しております」
と発言した。
この台詞は、1949年9月4日の吉田首相の演説であった。
マッカーサーは、この演説の2日前に、吉田が差し出した原稿を検閲し、承認していた。
忍び寄る危機
マッカーサーと国務省が、日本の「絶対中立」、より正確に言えば、自分をも守れない無能力さを日本に押し付けている間、そして吉田首相が、恰もマッカーサーの「幇間」であるかのように振る舞っている間に、毛沢東は中国大陸を取り、ソ連の原爆成功でアメリカの原爆独占は終わりを告げ、ソ連や中国から武器の増強を受けた北朝鮮が危険な存在となっていた。
マッカーサーは、北朝鮮からの攻撃が切迫していると、ワシントンにたびたび警告していたが、アチソン国務長官は、マッカーサーの情報は「精神分裂症的」であると言った。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。