再軍備論
マッカーサーは、1948年12月に日本軍隊復活を勧告した統合参謀本部に対し、強い反対を表明した。マッカーサーの反対の裏には、国務省と国防省の間で激しく闘われていた最高機密政策論争があった。
平和条約の中に、日本の再軍備を認める条項を入れるかどうかの論争である。
マッカーサー、国務省、国防省(ペンタゴン)の間で大論争が巻き起こったが、日本政府は完全に蚊帳の外に置かれていた。
国防省の見解
1948年11月20日、国防省は、日本再軍備の必要について極秘文書の中に理由を挙げた。
⑴ 「日本がソ連圏に落ちるのを防ぐためには、必要なら武力で日本を護らなければならない」
⑵ 「もし、平和条約で日本再軍備を認めないなら、アメリカが日本を防衛するための厖大な軍隊を日本に駐留させなければならない。しかし、我が国民は平和条約が締結されたら、兵士を帰国させ、日本国民が日本を防衛することを要求するだろう」
日本軍の復活
⑶ 「日本の軍隊を訓練するには時間を必要とする。日本軍の復活が遅れることは、事態改善の遅れを齎すだけで、アメリカはそのような危険を冒すことはできない」
⑷ 「日本の軍隊を復活させれば、アメリカは太平洋における安全保障に悪影響を与えることなく、日本からアメリカ軍の幾らかを撤退させることができる。また、この日本軍隊は、全面戦争という事態になれば、我々にとって測り知れない価値を発揮するだろう」
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。