片山内閣の誕生
1947年5月24日、日本史上で最初の社会主義内閣が、片山哲首相の下に誕生した。
彼は、クリスチャンでもあった。
マッカーサーは、この片山内閣が「完全な信教の自由を反映したもの」であり、共産主義の侵入に対し「確固たる精神的な砦」である、「これが人類の進歩である」と、片山の社会主義ではなく、キリスト教を応援した。
片山内閣
和製クロポトキン
片山首相は、マッカーサーの賛辞に元気づけられ、森戸辰男を新しい文相に任命した。
森戸は1920年、ロシアの無政府主義者クロポトキンに関する論文を出版したため、日本帝国政府から苛酷な迫害を受け、東京帝国大学経済学部の若い社会主義者の助教授であったが、教壇を追われ、最高裁はそれを合憲と判定した。
森戸の文相就任は、日教組と全学連にとって最良のニュースだった。
だがGHQは、彼等の赤がかった政治活動に我慢できなくなっており、二つの組織を潰そうと必死になっていた。
崩壊
片山内閣は、GHQの強い不満を十分感知して、政治化してゆく教育に苦悩していた。
森戸文相の悩みは特に深刻である。彼は、自分が受けた弾圧の苦しみを誰にも嘗めさせたくなかったからだ。
森戸文相が苦しんでいる間、片山内閣は無策無能ゆえに9カ月で崩壊し、1948年2月10日に総辞職した。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。