反共教育
ベルは、カトリックを無視できるとしても、共産主義者を無視することはできなかった。
『民主主義』が完成するや否や、彼は、CIEが日本中の学校で反共教育を始めるべきだ、とオア教育部長に提案した。
「元来、日本での政治教育では、私は民主主義の良いところだけを明確に教えることでありましたが、共産主義者は、政治的に無知な日本人に大嘘を売り付け、大変な成功を収めております」
「今、速やかに、敵として相手にしなければならないのは共産主義であります」
「ソ連では政治教育を三歳から始めているので、我々は少なくとも六歳か七歳から始めなければなりません」
「もう、時間も残っておりません。今すぐ、行動するべきであります」
政治教育の徹底
ベルの提案はまだ続く。
「実際には、アメリカ対ロシアの対決である民主主義対共産主義の闘いを、クラス討論や学校、大学の集会で公然と行なえ、とCIEがはっきりとした指示を出すべきです」。
しかし、新しい政治教育を指導できる人材に乏しいことを心配し、「我々は大人の仕事をさせるのに、子供を充てねばならないでしょう」。
オアは、ベル博士の提案に共鳴して、上司であるCIE局長ニュージェントに同じようなメモを書いた。
CIEの恐れにも似た懸念は理解できた。
日教組の反撃
1945年末期に、マッカーサーの承認と文部省の祝福を受け、誕生した日本教職員組合(日教組)は、すぐさま反政府、反GHQとなり、共産党の主義主張と同じような言葉を公然と使い、小・中学校での教育を完全に独占し、他のいかなる思想も受け入れない姿勢を見せていた。
地方の教育委員会でも有力な発言者は日教組であった。
全学連の極左化
大学では、1948年9月18日に結成された全日本学生自治会総連合(全学連)が、我が物顔に振る舞っていた。全学連は、急速に成長し、極左に大きく傾斜した。
同年12月、文部省はCIEに、全学連に加わっている高等教育機関数は266校であり、全学連の学生数は、全国の総大学生数の60パーセントの22万2581人であると報告した。
これらの数字は、明らかに誇張されていたが、共産主義の撲滅を計画しているCIEは、それ以上の学生が危険な団体に参加しているに違いない、と思っていた。
オアはニュージェントに、CIEが「大学内の共産主義との闘い」を今すぐ始めるよう強く勧告した。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。