校舎を失った子どもたち
教育使節団の離日から一年半後、シーボルド政治顧問は対日理事会で、
「多くの学校は、現在使用されていない工場の建物を教室として利用している。小学校と中学校は、同じ校舎に絶望的な状態で押し込められており、多くの授業は青空教室で行なわれている。多数の校舎は修復不可能である。新校舎の建設が認可されても、資金と資材の不足から建設は捗っていない」
と発言した。
マッカーサーを代弁するシーボルドは、
「教師が四万人不足している」
「現在、最も深刻な問題は紙不足である」
「生徒には教科書のごく一部しか与えられておらず、多くの科目は教科書が教師の手に一冊だけ、という状態である」
と述べた。
そして、シーボルドは、このような「恐るべき不利な条件」にも拘らず、1947年4月に、新教育制度を敢えて導入した日本の態度を称賛した。
壊滅状態の日本経済
しかし、義務教育を拡大した大規模な教育を実施するには、日本経済は荒廃しすぎていた。
国の貧困は、吉田内閣を苦しめる。その苦しみは、オア教育部長の言葉を借りれば、「極めて強硬な反対」となって現われた。
高橋誠一郎文相と日高第四郎学校教育局長は、閣議内での論議を報告するため度々オアに会いに来た。
高橋誠一郎
吉田内閣は、高橋文相が「日本経済の現状を示す冷酷な事実」をCIE教育部に提出するように要請した。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。