大ストライキ
イールズの新案に対する反対は、日を追って高まっていったが、文部大臣下条康麿は、「この草案を国会に上程して審議にかける」と発表した。
大学管理案反対ストライキが全国で展開され、100以上の大学が参加した。
1949年2月、大阪大学の学長を先頭とした学生、教授陣の大々的な街頭デモが行なわれた。文部省は麻痺状態。
学生デモの様子(写真のデモは東京大学生によるもの)
新文相の画策
高瀬荘太郎が新文相に任命された。
5月24日、高瀬文相は国会に提出した「大学管理法案」を撤回すると発表した。立法化を諦めたとはいわなかった。
高瀬は、学園の騒動の責任はごく一部の学生たちにあるのだと嘆いた。
騒動とストライキは手がつけられないほどに広まった。「文部省は学生騒動に対して殆ど無力である」と、フィンはシーボルドに報告している。
文部省は、同年8月5日、評議員会制度の構想は完全に放棄した、と発表した。
だが、フィンは、教授会が大学を管理・運営できるとは見ていず、シーボルドに「現状では大学や専門学校を統制する効果的な制度は見つかりません」と報告した。
イールズ声明の背景
イールズの中央集権案は、世界に広がるソ連および共産主義に対するアメリカの軍事戦略を背景にして作成されたものだ。
当然、過激左翼で親ソ連の全学連は、この評議員会制度に猛反対した。
大騒動が収まった2カ月後、文部省が、教育機関は政治的に中立、思想的に純粋無垢でなければならないと警告を発したのは偶然からではない。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。