画策
⑷ 初等・中等教育に関して、各都道府県、各市町村ごとに、「政治的に独立し、一般投票によって選ばれた代表市民で構成される教育委員会が設置されるべきだ」と勧告した。
CIEは、文部省の強力な権限を縮小する手段として、教育委員会の設置に意欲的に動き出した。「日本側教育家の委員会」も追認した。
文部省は、地方分権化に絶対反対である。
しかし、教育使節団を非難するわけにもゆかず、文部省は同省が慎重に選んだ人たちで構成する「日本側教育家の委員会」の威信を落とそうとする。
適任者不在の論理
文部省、大臣官房文書課の内藤誉三郎は、「日本側教育家の委員会は行政再編成の分野については勧告を出すのに適任ではありません」とオアに言った。
オア 「同委員会の委員を選んだのは文部省ではないか」
内藤 「委員たちは、実際は適任者だが、文部省の極めて啓発的で、有意義な助言を聞く機会を持たなかったから、そう言ったのです」
しかし、CIEに命令され、文部省は地方分権化の作業に取り組み始め、同省の態度は急速に変わった。
内務省の介入
そこに、内務省が割り込んできて、地方教育委員会の設置に強行に反対した。
アジアで最も有能な思想統制機関であった同省は、地方教委が東京の権力と威信とを奪い去ると正確に読んだ。
1900年頃の内務省の様子
GHQの強力な民政局(GS)が内務省を管理していたので、トレイナーは民政局のティルトンとグラジャンツェフと話し合った。この2人は、「内務省を説得するから心配するな」とトレイナーに確約した。
民政局とCIEは密接に協力して、文部省に教育委員会法の草案を作成させ、自分たちの気に入るようにこれを書き改めた。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。