国語改革の真相
「我々は深い義務感から、ただそれのみから、日本の書き言葉の根本的改革を勧告する」。
とうとう教育使節団が本性を現わした。
美しい言葉「義務感」の裏に、隠された醜い下心が見えた。
1978(昭和53)年、ストッダード元団長は、私と対談中に、「報告書」は自分が執筆したと言ったが、「国語改革の部分を書いたのは、自分ではなく、ジョージ・カウンツだった」と付け加えるのを忘れなかった。
32年も経て元団長が責任回避をしようとしたのには、見苦しい事実が、学者としての恥が、その「報告書」の国語改革に付き纒っているからだ。
漢字禁止勧告
教育使節団の日本語大改革の検討を始める前に、一点の関連資料を紹介する。
私は、ワシントンにあるアメリカ国立公文書館で、私にとっては二回目の資料の検索中(1978年3月)に、「公式表記文字をカタカナに改定」と題する秘密覚書を発見した。
これが執筆されたのは、日本の降伏二カ月前、1945年6月23日である。
執筆は、日本占領初期に大活躍したロバート・キング・ホール中尉。当時、カリフォルニア州モントレイにあった軍政要員準備機関で、日本占領企画本部の教育部長であった。
占領開始直後、ホールはGHQ・CIEで教育改革・言語簡潔化担当の任に就き、教育使節団に日本語の国語改革問題を説明した。
終戦前に書かれたホールの秘密覚書は、教育使節団の「報告書」と密接な繋がりを持っている。
「軍事占領下の日本では、カタカナだけに統一すべきだ。漢字で書かれたものは禁止すべきである」がホールの勧告である。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。