「日本潰し」本格始動

by 西 鋭夫 June 16th, 2016

教育使節団の謎



私は、1978(昭和53)年3月8日、アメリカ教育使節団の団長だったジョージ・ストッダード博士と、彼のニューヨーク・マンハッタンの自宅で対談した。使節団の来日から、ちょうど32年後の3月8日だ。

「誰が教育使節団報告書を書いたのですか」

「殆ど私が書いた。国語改革の部分を書いたのは、私ではない」

その3カ月前、1977年11月21日、同使節団の団員であり、スタンフォード大学の教育心理学教授アーネスト・R・ヒルガードに同じ質問をした。

「報告書の執筆者はジョージ・D・ストッダードと私、それに今、名前を思い出せないがもう一人の三人だった」

「それでは、教育使節団の他の24人の団員は何をしていたのですか」

「あちこち観光旅行に行ったり、夜の街に遊びに出かけていた。ストッダード氏の団長ぶりは独裁的ともいえた。誹謗の意味で独裁的といっているのではない。彼は、まず自分で物事を決定し、その後で、団員の同意を取り付けるという具合に処理していたからである」


日本知らずの使節団員


マッカーサーは、教育使節団の「報告書」を「高い理想の文書」と称賛した。

しかし、あるアメリカ人評論家は、

「大部分が美しい理念で飾られ、時折、現実的な観察が書き込まれているこの報告書は、伝統的な教育者たちの日本短期視察旅行から出たものとしてはまずまずのものだ」

と皮肉り、

「この教育使節団には、日本人についても、日本の教育の実態についても、知っていた団員は、殆どいなかった。勿論、何等かの書かれたものには目を通したであろうが、当時、日本の教育に関する文献は、多くはなかった」

と厳しい批判をした。

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教育使節団の一員、コロンビア大学教育学部教授アイザック・L・カンデルは、マッカーサーの称賛の言葉を全文引用し、さらに「教育使節団は、アメリカの教育理論などを日本人に実践させようとしたのではなく、日本人が教育制度を再建するのを支援するために、マッカーサー元帥の招待で派遣されたものである」と反論した。



善意の中の日本潰し


教育使節団「報告書」には、

「我々は征服者として日本に来たのではなく、人間一人一人には、自由と、個人的、社会的に成長する計り知れない可能性がある、と信じて疑わない経験豊富な教育者として日本へやってきた」

と善意に溢れた言葉が鏤められていた。

しかし、アメリカ式教育には、好戦的な軍国主義日本を改善する力があるという使節団の信念は、日本滞在三週間を通じて揺らぐことはなかった。

教育使節団の「報告書」が、戦後日本教育の土台である。

使節団がマッカーサーの絶大なる権力の支援を受け、打ち拉がれた日本国民の中に植え付けた教育は未だに変わっていない。

「マッカーサー憲法」「第9条」「教育基本法」には、同じ思想が流れている。

「民主主義」「人権」「平等」「平和」という美しい漢字の裏に隠されたアメリカ教育使節団の目的は、強敵日本の永久弱民化だった。


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。