上御一人の大号令
文部省は、既に1937(昭和12)年、国体の決定版『国体の本義』を出版していた。
この本の中では、個人主義、民主主義、共産主義は日本の国体には害悪を及ぼす異物であると言明してある。
しかし、「信じれば救われる」と言う言葉があるように、理論上の深い溝は、深い信仰によって埋められ、橋渡しされる。
田中も例外ではなかった。
「我が固有の国体は、我が国民性が存続する限り、政治の安定及び国家の健全なる発達の為の必須条件、不可欠の支柱と云わなければならない」
「明治維新の大業及び今回の太平洋戦争の終結のごとき大英断は、上御一人の大号令に依るに非ずんば到底行わるることを得ず、邦家はこれに因って初めて永遠のアナーキーと独裁の交替の危険から救出され得たのである」
日本・抹殺計画
当然、田中文相の発言の全て、著作の全ては翻訳され、GHQに読まれていた。マッカーサーに筒抜けである。
田中は、この説明でマッカーサーが「国体」の意義と教育勅語の重要さを理解すると考えたのだろうが、マッカーサーは田中のような考えこそが、日本を戦争へ走らせたと思っていた。
これでマッカーサーは日本の「何」を殺せば、日本が簡単に潰れるか、初めて良く分かった。
これでは、「日本帝国の魂」を護ると言うよりも、田中文相は手の内を曝け出し、マッカーサーの日本抹殺を容易にしているようなものだ。
田中が教育勅語と国体を護ろうとすればするほど、それらの存在が危うくなっていった。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。