誇り高き日本人
東久新首相も、占領下でも天皇大権と国体にはなんの変更もないと宣言した。日本の指導者たちは、天皇大権は神聖にして不可侵であり、さもなければ「国家」は衰退すると国民にも自らにも言い聞かせ続けた。
だが、降伏直後、国民はあらゆるものに、特に政府に対し、憎しみにも似た不信感を抱いていた。国民は血を吐くような犠牲を払い、日本帝国に尽くした揚げ句の果て、前例のない無条件降伏で報いられ、「献身」に心身ともに疲れ切っていた。
「降伏」という言葉は、誇り高き日本人の「戦記」にあってはならないものだった。
人々は希望も夢もなく、ただ飢えていた。「教育勅語」が生きようが死のうが......という風潮が生まれたのも、無理からぬことであった。
五箇条の「心得」
前田文相は、「国民の無関心さこそ昨今の道徳的退廃の根本である」と嘆いた。
道徳の荒廃は、アメリカ兵が進駐してくることにより、よりいっそう悪化すると心配した日本政府(内務省)は、次のような「心得」を全国に徹底させようとする。
一 連合軍の兵士たちは「暴行、掠奪」をしないと思うので、「住民は平常どおり安心して業務を続けられたい」
二 「勝手に住民が移動したりすると非常な混乱をするので治安上害がある。また皇軍が速やかに秩序正しく撤退するのに支障を来たすので沈着冷静に協力すること......」
三 「連合軍の進駐後も従来どおり、県庁、警察、憲兵が治安取締りに当たるから絶対に心配は要らない」
四 「住民は絶対に県庁、警察、憲兵などを信頼してつまらぬ流言」などを信じず、「大国民たる態度で冷静沈着に職場を守り、落ち着いて家業に励め」
五 「......すべて当局の指示を守っていくことがたいせつである」
婦女子の「心得」
特に心配なのは「婦女子の独り歩き」である。婦女子の「心得」は、
一 「外国軍人に対して個人が直接折衝することはつとめて避けること、但し、先方から求めてきたときは毅然たる態度を以て接すること......」
二 「国内の治安維持は従来どおり......決して動揺することなく、またみだりに住居を逃げ出すようなことをしてはいけない」
三 「どんな事があっても腕力沙汰に訴えてはならない......」
四 「特に婦女子は日本婦人としての自覚をもって外国軍人に隙を見せることがあってはならぬ」
五 「婦女子はふしだらな服装をせぬこと。また人前で胸を露にしたりすることは絶対にいけない」
六 「外国軍人がハローとかヘエとか片言まじりの日本語で呼びかけても婦女子は相手にならず避けること」
七 「とくに外国軍隊駐屯地付近に住む婦女子は夜間はもちろん昼間でも人通りのすくない場所はひとり歩きをしないこと」
(『讀賣報知』1945年8月23日)
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。