日本帝国の魂

by 西 鋭夫 March 25th, 2016

国体護持


日本帝国の「魂」を明文化したものは、「明治憲法」と「教育勅語」である。

1889年の憲法は、天皇の神聖を明記した。

1890年の教育勅語は、国民の天皇に対する忠誠心と愛国心を育むための「道しるべ」であった。

マッカーサーは、天皇の神聖と日本国民の忠誠心を壊すため、「明治憲法」を抹消した。「教育勅語」について、GHQはどう対処したのか。GHQは「教育勅語」の重要さを知らなかった。

降伏直後の混迷状態でも、いや、それ故日本政府は、教育勅語を護るために必死だった。終戦の詔書で、天皇は、「堪えがたきを堪え」「国体を護持し」「世界の平和と進歩のために努力するよう」と国民に求められた。


鈴木貫太郎の抵抗


1945年8月15日、午後3時20分、鈴木貫太郎内閣が総辞職した。しかし、四時間後、鈴木はラジオ放送で、日本はポツダム宣言を一つだけ条件をつけて受け入れ、それは天皇陛下の大権にはなんらの変化もない、という条件であると断言した。

天皇が敗戦日本を統治すると言っている。

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鈴木貫太郎



鈴木は、日本が「無条件降伏」をしたと思っているアメリカに反論をしていたのか。それとも、ポツダム宣言を「ignore(黙殺する)」という回答をアメリカ側に伝えたため、トルーマンに原爆を使用する絶好の口実を与えた鈴木は、最後の抵抗をしていたのか。

同日、太田耕造文相は、県知事と各学校長全員に、国民が「国体護持の一念に徹し」「国力を焦土の上に復興」することが、天皇の「御聖旨にこたえる唯一の方法だ」と訓令した後、辞任した。


文部大臣・前田多門


8月18日、新文部大臣前田多門は、就任の記者会見で、

「日本の教育の基礎は教育勅語と終戦の御詔勅抜きでは存在しえない」

「今後の教育はますます国体の護持に努めると共に、平和国家の建設を目標としなければならない」

と言った。

前田は、東京帝大法科卒で、内務省勤務の後、東京市第三助役、駐フランス大使館参事官等を歴任した。朝日新聞社の論説委員を約10年間した後、ニューヨークの日本文化会館の館長をも務めた。ニューヨークに在任中、真珠湾攻撃が起こり、交換船「浅間丸」で帰国した。

GHQから見れば、数少ない親米の国際人であった。アメリカ国務省は、彼に大きく期待をかけていた。

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。