スターリンの操り人形・野坂
国の歴史は時折振り返ってみるべきだ。おもしろいことに突き当たる。
今現在、自衛隊大反対、第9条大賛成の日本共産党は、当時、自衛権まで放棄すべきではないと考えていた。
1946年6月28日、衆議院の憲法草案審議の際、野坂参三と吉田首相は戦争放棄について論議した。アメリカ陸軍軍事情報局は野坂を、「日本国民の人気をえている唯一の共産党指導者」と見ていた。野坂は、その時、既にスターリンのスパイであった。
野坂 vs. 吉田
野坂 「戦争には我々の考えでは2つの種類の戦争がある。......1つは正しくない不正の戦争である。これは日本の帝国主義者が満洲事変以来起こしたあの戦争、他国征服、侵略の戦争である。これは正しくない。同時に侵略された国が祖国を守るための戦争は我々は正しい戦争と言って差しつかえないと思う」
吉田 「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくのごときことを認めることが有害であると思うのであります(拍手)。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行なわれたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることが戦争を誘発するゆえんであると思うのであります」
「野坂氏のご意見のごときは有害無益の議論と私は考えます」(拍手)
吉田の解釈は、マッカーサーの考えと全く同じであった。
朝鮮戦争・勃発
1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発した。
7月8日、マッカーサーは吉田首相に緊急指令を出した。「私は日本政府が7万5000人の警察予備隊を創設するのに必要な措置をとることを認める」。
海上保安庁も8000人増員することを命じた。
「国内治安の維持と、日本の海岸線を不法入国や密輸から守るためである」。
7月14日、吉田は国会で、朝鮮動乱は「対岸の火事」ではない、動乱は共産主義の脅威が現実的で差し迫ったものである、我々は共産主義侵略をこの目で見た、と述べた。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。