「モスクワ協定」の欺瞞
マッカーサーは、「日本政府に対し最も有効な手段は、私自身が......憲法草案を用意することである」と決断した。マッカーサーは気が変わったのではない。
マッカーサーが、1945年12月26日のモスクワ協定(極東委員会設立)により、「憲法問題は自分の占領業務ではない」と言ったが、これは外交辞令を述べただけだ。
この馬鹿げた協定で、アメリカ政府は、日本占領を独断で行なうべき正当な特権を恥ずかしくもなく売り渡した、というのが彼の真意であった。
一体全体、「日本帝国を打ち破ったのは誰なのか」。
モスクワ協定に基づき、憲法改正について、自分はいかなる行動もとらないと言ったのは、嘘だった。
事実、マッカーサーと彼の部下たちは、新憲法草案に関して日本の指導者とたびたび会い、協議をしていたので、マッカーサーは松本が、自分の考えを反映するものと期待していた。
マッカーサーの直筆ノート
裏切られたと思ったマッカーサーは、憲法改正に手を出さないとの態度をかなぐり捨て、第一子分の民政局長ホイットニーに、自分の直筆のノートを手渡し、憲法草案を書けと命じた。
マッカーサーの手書きのノート。
I
「天皇は国家の元首の地位にある」
「皇位の継承は世襲による」
「天皇の義務と権能は、憲法に従って行使され、憲法に示された国民の意思に応じたものでなければならない」
Ⅱ
「国家の権利としての戦争行為は放棄する。日本は、(国際)紛争解決、および自衛のためでさえも、その手段としての戦争を放棄する。国の安全保障のためには現在世界に生まれつつある高い理念、理想に頼る」
「陸、海、空軍は決して認められない。またいかなる交戦権も与えられない」
Ⅲ
「日本の封建制は廃止される」
「皇族以外の爵位は現存のものに限る」
「今日以後、貴族特権は政府もしくは民間機関においてなんらの権力も持たない」
「国家予算はイギリスの制度を見習う」
※英語の原文については、西鋭夫(2005)『國破れてマッカーサー』(中公文庫)中央公論新社、巻末資料を参照。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。