社会党首が日本の首相に
異常な現象が現われた。筋金入りの社会主義者、片山哲が、1947年5月、首相になった。日本で初めての社会主義者の総理である。
片山は、東京帝大法科卒業後、弁護士を開業し、1926(大正15)年、社会民衆党結成に参加し、同党書記長を務める。
社会党の擡頭(たいとう)は、日本の保守主義者たちを追放しすぎたために起きた好ましからざる結果、とマッカーサーは受け止めた。
キリスト教徒の首相にマッカーサーご満悦
片山が首相になった翌日の5月24日、熱烈なキリスト教徒マッカーサーは、日本国民に向けて次のような声明を出した。
「片山氏が首相になったことは、政治的にも大きな意味を持っているが、それ以上に大きいのが精神的なものである。歴史上初めて、日本はキリスト教徒の政治 家に率いられることになった。この事実は今やこの国に完全な信仰の自由があることを証明している」
マッカーサーは、キリスト教徒の首相誕生の重要さは日本だけに限られたものではないと信じ、「今や東洋の三大強国にキリスト教徒出身の首相、中国の蒋介石、フィリピンのマヌエル・ロハス、日本の片山哲が誕生したことは広く国際的な観点から見ても意義が深い。これは聖なる教えが確実に広まっている証であり、東洋と西洋の人々が人間の心という面で共通点を見いだすことができ、抑圧によって権力拡大を狙っているイデオロギー主義者たち(共産主義者たち)に対抗し、難攻不落の防壁をついに築き上げるという希望を齎すものということを、明確に裏付けるものである。これは人類の進歩である」と断言し、自分を納得させていた。
マッカーサーは、このような長い文を書くのが好きだった。
キリスト教の愛
1947年6月1日、片山首相は、気も遠くなりそうな幸福感に浸りながら、マッカーサーと同じ台詞を国民に言った。
「極右極左に偏らず、特に共産党に対し明白な一線を画し中道を歩む意向である」「私は民主的政府はキリスト教の愛と勤労主義の精神とによって貫かれているものと信じている」
「新憲法下に選ばれた最初の民主政府の首班として、私は日本国民に代わって、日本の民主化に大きな援助をなして来たマックアーサー元帥に深甚な感謝を表明する」
片山内閣は、依然影響力を持った自由党(吉田)にボイコットされながら、経験と人材不足で四苦八苦していた。悪いことには、深刻になった食糧危機の最中に、派閥抗争が起き、人気下落に拍車をかけた。
片山内閣発足4カ月後には、国民の内閣支持率はわずか22パーセントで、54パーセントが不支持だった。9カ月後、1948年2月10日、片山内閣は総辞職した。
マッカーサーの足で「民主主義」
当時、誰が政権の座についても、文楽の人形のように、マッカーサーに操られた。日本国民もそれを知っていたにも拘らず、選挙があると投票所に足を運んだ。
政治家を投票で選ぶという新しさが「民主主義」に参加している、という当座の満足感を与えたのであろう。
マッカーサーは日本の政治家たちの一言半句に耳を傾け、「戦前」の帝国政府を思い懐かしむような者がいると追放した。それを意識していた代議士たちは、マッカーサーの命令を喜んで実行に移し、似たような台詞さえも口にした。
天皇もマッカーサーを支援されていた。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。